講談社学術文庫<br> 道徳を基礎づける―孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ

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講談社学術文庫
道徳を基礎づける―孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ

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  • サイズ 文庫判/ページ数 360p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062924740
  • NDC分類 150
  • Cコード C0110

出版社内容情報

井戸に落ちそうになった子どもを助けようとするのはなぜか――孟子と、西欧啓蒙哲学者たちの議論を戦わせつつ、普遍に迫る快著!孟子とカント、ルソー、ニーチェ。中国哲学と西洋哲学を往還しながら、人間の道徳の根拠を問う、現代フランス思想の旗手のよるスリリングな著作が、ついに文庫化! 東浩紀氏も絶賛する注目の書。
西洋哲学、東洋思想という枠を軽々と乗り越え、普遍に迫ろうとする知の力を堪能してください。

1.憐れみをめぐる問題
2.性と生について
3.他者への責任
4.意志と自由
5.幸福と道徳の関係
訳者解題――存在と道徳への問い直し


フランソワ・ジュリアン[フランソワ ジュリアン]
著・文・その他

中島 隆博[ナカジマ タカヒロ]
翻訳

志野 好伸[シノ ヨシノブ]
翻訳

内容説明

井戸に落ちそうな子供を助けることは憐れみなのか、義務なのか。ルソーもカントも道徳を基礎づけることを試みた。しかし「誰も成功していない」(ショーペンハウアー)。ニーチェは道徳の系譜学へと目を向けた。そして今、思想史を相対化し伝統を確認しながら、著者は孟子との対話を始める。賢者の石は、中国思想を批判的に揺さぶり続けたその先にある。

目次

1 憐れみをめぐる問題(忍びざるものを前にして;基礎づけか比較か―あるいは基礎づけのための比較 ほか)
2 性と生について(人性論;善か悪か ほか)
3 他者への責任(人間性、連帯;天下を憂う)
4 意志と自由(妄想的な意志?;自由な観念なしに)
5 幸福と道徳の関係(正義は地上に存す;地は天に肩を並べる ほか)

著者等紹介

ジュリアン,フランソワ[ジュリアン,フランソワ] [Jullien,Fran〓ois]
1951年生まれ。フランスの高等師範学校で古典学を学び、ギリシア哲学研究の後、中国思想に取り組む。パリ第七大学教授

中島隆博[ナカジマタカヒロ]
1964年生まれ。東京大学教授。中国哲学専攻

志野好伸[シノヨシノブ]
1970年生まれ。明治大学准教授。中国哲学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

17
西洋哲学界で「オワコン」になっていた「道徳の基礎付け」を孟子を介することで再起動させる。面白いのは、孟子が道徳を形而上学的な存在、つまり神を一切通さずに語っていることで、ジュリアンはここにカントと孟子の対立点をみている。中国思想の神の不在というのは非常に興味深い論点だと感じたし、形而上学を否定しながら本来性を志向するハイデガーと孟子を比較するとさらに面白いかもしれない。「道徳」という忘れ去られたテーマがここにきて再浮上するのは社会の混迷を裏付けている気もします。2018/02/11

テツ

16
タイトルの「孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ」に惹かれて購入。中華の思想、孟子の道徳と西洋哲学が語り到達した道徳とを対比させる流れは僕のようなアホにでも考えることが多かった。「善く生きること」が道徳の目指す姿であるのなら、それはそれが語られている時代の社会とは切り離せないモノであり、意識的でないにしろ自らが生きる社会で得をするために社会通念上のありふれた道徳規範を守るというのは正しい生き方なんだろうか。あたりまえに語る自分の中の道徳って本当に自分が考えて選び取った善い行いなんだろうか。難しい。2018/01/10

おっとー

10
定言命法がんじがらめのカント、憐れみを発見しつつも自分を崩さないルソー、道徳を系譜づけるニーチェ。これらを経た現代思想の最先端にいたのは意外にも孟子だった。孟子が提起する即時的な憐れみ(忍びざる心)は、意志の介在なく生じ、利害の計算を越え、目的を無視する。「牛を助け、代わりに羊を供物にせよ」といった王は決して愚かではない。むしろ「羊はどうなるんだ」とかドヤ顔でいい放つ我々のほうがくだらない。それは欲望にまみれ、未来と利益しか志向しない性悪な人間の末期症状である。道徳は目的なきプロセスでなければならない。2018/06/11

みのくま

8
西洋人による「孟子」読解だが、多くの発見に満ちた本である。しかし全編を通してずっと違和感が拭えない。おそらく東西の人間観が異なる為だろう。それは悪の問題や民主主義の問題で顕著に現れる。絶対的な悪という概念を求めたり、天命を民意に読み換えるのは、西洋人が主体的な個人を想定しているからだろう。だが、その前提が普遍的でありえない事に著者は気づくべきであった。それはまさにピュシスを理想とする東洋と、ノモスを理想とする西洋の違いであり、人間を動植物と変わらない生物として扱う東洋と、霊長として扱う西洋の違いでもある。2021/08/10

Amano Ryota

6
利己的でない道徳なんてない、と僕は思うから、孟子の道徳と幸福を分けない考え方は納得出来る。そうするしかない。それでも、最後に述べられていたように、道徳=幸福が成就されるかどうかは、最終的に天(=伺い知れ無いもの)に依るのだとすると、人がどうしても道徳的である必要はないように思える。利他的な反道徳なら、どうなのだろうか。「孟子は決定論や、それに対する自由の問題を立てているのではない。そうではなく、運命を全うすることを要求することで、孟子は、運命に対する最も大きな責任を引き受けることを目指しているのである。」2017/10/20

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