講談社学術文庫<br> 『青色本』を掘り崩す―ウィトゲンシュタインの誤診

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講談社学術文庫
『青色本』を掘り崩す―ウィトゲンシュタインの誤診

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  • サイズ 文庫判/ページ数 320p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062924498
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C0110

出版社内容情報

「私は他者の痛みを感じることはできないか」――この有名な問題を皮切りに、著者がウィトゲンシュタインと切り結ぶ魅惑の哲学!『青色本』と名づけられたのは、1933年から1934年にかけての、ケンブリッジでのウィトゲンシュタインの講義録である。
ウィトゲンシュタインの哲学を、『論理哲学論考』を前期、『哲学探究』を後期と分ければ、その中間に位置し、いわば『哲学探究』に向かう時期の講義にあたる。
ここでは、「他者の痛みは、私には感じられない」という、有名な「痛み」についての議論などが展開され、いわゆる「独我論」が主要テーマになっている。
著者・永井均は、この『青色本』の議論に、一文一文、詳細な検討を加え、解読しながら、さらに、著者の哲学を展開していく。
独我論、私的言語、自他の非対称性といった、哲学の永遠の課題に対して、ウィトゲンシュタインと永井均という、ふたりの哲学者の思考がクロスしながら展開する、きわめてスリリングな一冊といえよう。
さながら、ウィトゲンシュタインvs.永井均という様相を呈しているのである。

1.哲学における達成とは
2.私的体験が素材となって実在が構成されていると言いたい誘惑
3.語は対立項なしに使われえないか
4.ただ私自身の体験だけが実在すると言いたい誘惑
5.だが他人も「まったく同じこと」が言える
6.世界の素材としてのエーテル状の私的体験
7.ウィトゲンシュタイン的独我論
8.ウィトゲンシュタイン的独我論の永井的拡張(付・コウモリだったらどんなかな)
9.私と世界をつなぐすべての出発点
10.「自分の感覚を記述するのに回り道をせざるをえない」……


永井 均[ナガイ ヒトシ]
著・文・その他

内容説明

たとえば、後期ウィトゲンシュタインの代表作『哲学探究』二〇〇番代で主題化される私的言語の問題は、その原基形態が『青色本』の議論にある。後期に向かう哲学的思考の端緒とも言うべき『青色本』を、著者は「天下の奇書」と評しつつも、細部にわたって徹底的に、かつ詳細に考え抜く。そこで見えてくる独我論の相貌とは。渾身の哲学的批判の書。

目次

哲学における達成とは
私的体験が素材となって実在が構成されていると言いたい誘惑
語は対比項なしに使われえないか
ただ私自身の体験だけが実在すると言いたい誘惑
だが他人も「まったく同じこと」が言える
世界の素材としてのエーテル状の私的体験
ウィトゲンシュタイン的独我論
ウィトゲンシュタイン的独我論の永井的拡張(付・コウモリだったらどんなかな)
私と世界をつなぐすべての出発点
「自分の感覚を記述するのに回り道をせざるをえない」〔ほか〕

著者等紹介

永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶應大学大学院文学研究科博士課程単位取得。日本大学教授。専攻は哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

へくとぱすかる

38
累進構造、それとも無限後退か。私という存在が世界の特異点であるために生じる問題はすごく難しい。読み終わるのにも、やはりそれなりに日数がかかってしまった。本当は私の独我論は理解されてはいけないのだが、語られ、読まれて理解される。にもかかわらず、その理解はつねに一段ずれる……。あっと思ったのは永井先生が、読者の存在を念頭にして書いている部分だった。「~にとっては」と「端的に」の違いは、決して埋まらないにもかかわらず、読んで理解(するしかない、してしまえる)というのは、一層私の特異さを際立たせるものだろう。2018/03/03

ころこ

35
『青色本』の後半を40個に分けて、著者がコメンタリーを付しています。ウィトゲンシュタインの哲学というよりも、やはり本書も著者の哲学が探究されています。著者の『ウィトゲンシュタイン入門』の19ページに『青色本』の本書でいう26の一節が引用されています。そこでいわれているのは、重要なのは「私」でもない、「ウィトゲンシュタイン」でもない、<私>の独我論だということです。さらに重要なのは、このことを「誰も理解できないのでなければならない」といっていることです。他方で、現に書かれているこのことを何故だか読者が理解し2019/01/21

またの名

11
安倍晋三であるとはどのようなことかと有名な哲学書のもじりネタで「私の身体が安倍のあの身体になることは全く不可能だし、私が安倍になることは不可能」等と真面目に論じるので頭に入って来ない。ヴィトゲンシュタインを読みつつヴィトの目指した治療としての哲学が誤りだったと結論し「そういう意味でははっきりと悪質な詐欺文章」とも言う。問われている著者の絶対的な孤独とねじれを抱えた独断論に対しては個人的に共鳴する部分が少ないけれど、真剣な独我論はどんな他者ともシェアできないのならば、唯物論や敬虔な信仰と馴れ合えなくて当然。2019/06/21

たかひろ

3
始まりは理由もなしに端的に存在してしまったこの「私」であることは分かる。それが他に類比項を持たない例外的な存在であることも分かる。しかしではなぜ、その「私」が世界の全てではなく、同じように自らを私と呼ぶ他のものを「私」から切り離すことができるようになったのか。最も原初的な独我論者ならば、「私が痛い」という時それは「世界が痛い」のであるのと変わらないと思うが、なぜそこから私と他者という架空の類比項を生み出すことに成功した(あるいは成功し得る)のだろうか。本書に書いてあったかもしれないが、読解できなかった。2020/07/11

ポルターガイスト

3
面白かった。けど後には何も残らず空洞のようなものだけが胸のうちにぽっかりできた感じがする。ウィトゲンシュタインは思想が怖いというよりただただ哲学という運動に身を任せている「純粋」な感じが不気味だとと感じるが筆者にも同じものを感じる。そこが好き。内容的には文法の問題で独我論を片付けようとするところにどうしても納得がいかなかったのでそれを考える力のない僕の代わりに言ってもらえてちょっとすっきりした。2019/10/09

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