講談社学術文庫<br> 死に至る病

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講談社学術文庫
死に至る病

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  • サイズ 文庫判/ページ数 296p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062924092
  • NDC分類 139
  • Cコード C0110

出版社内容情報

最新の校訂版全集に基づいてデンマーク語原典から訳出し、簡にして要を得た訳注を加えた、新時代の決定版と呼ぶにふさわしい新訳!実存主義の祖セーレン・キェルケゴール(1813-55年)の主著、待望の新訳!
「死に至る病とは絶望のことである」。──この鮮烈な主張を打ち出した本書は、キェルケゴールの後期著作活動の集大成として燦然と輝いている。本書は、気鋭の研究者が最新の校訂版全集に基づいてデンマーク語原典から訳出するとともに、簡にして要を得た訳注を加えた、新時代の決定版と呼ぶにふさわしい新訳である。
キェルケゴールは、本書の第一編で、まず人間を普遍的かつ非キリスト教的な視座から描き、人間の特定のあり方が「死に至る病」としての「絶望」であることを明らかにした上で、絶望がさまざまな仕方で具現化されるさまを見ていく。そして続く第二篇では、キリスト教的な視座から人間を改めて捉え直し、その考察を通して、心理学的な概念である「絶望」がキリスト教的な概念である「罪」に変質していくことを指摘する。そうして、その罪がさまざまな仕方で具現化されるさまが描き出されて本書は閉じられる。
このようにして「絶望」と「罪」の精緻を極める診断が行われる目的は「死に至る病」を治療することにあった。キェルケゴールはこう言っている。「この書全体において、私は信頼できる航路標識にしたがって舵をとるように、信仰にしたがって舵をとっている」。そうして読者の一人一人をキリスト教の信仰に導き、「死に至る病」を治癒させること。キェルケゴールが生きたキリスト教世界からは遠く離れた現代日本であるが、人間が「絶望」から無縁ではいられない存在であるかぎり、本書は限りない教えと救いを与えてくれるに違いない。

序 言
緒 言
第一編 死に至る病とは絶望のことである
A 絶望が死に至る病であるということ
 A 絶望とは、精神における、自己における病であり、したがって絶望は三つの姿をとりうる。絶望して、自己を持っているということを意識していないこと(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうとしないこと。絶望して、自己自身であろうとすること
 B 絶望の可能性と現実性
 C 絶望は「死に至る病」である
B この病(絶望)の普遍性
C この病(絶望)の諸形態
 A 意識されているか否かについては考慮せずに考察された絶望。したがって、ここでは総合の諸契機だけが考慮される
  a 有限性‐無限性という規定の下に見られた絶望
  b 可能性‐必然性という規定の下に見られた絶望
 B 意識という規定の下に見られた絶望
  a 絶望を絶望と知らないでいる絶望。あるいは、自己を、永遠な自己を持っていることについての、絶望的な無知
  b 自分が絶望であることを意識している、したがって、自分が何か永遠なものを包有している自己を持つことを意識している絶望。そこで、この絶望は、絶望して自己自身であろうとしないか、それとも、絶望して自己自身であろうとするか、そのいずれかである
第二編 絶望は罪である
A 絶望は罪である
 第一章 自己についての意識の移り変わり(神の前、という規定)
  付論 罪の定義が躓きの可能性を孕んでいること。躓きについての一般的考察
 第二章 罪のソクラテス的定義
 第三章 罪は消極的なものではなく積極的なものであるということ
  Aへの付論 しかしそうすると、罪とはある意味できわめて稀なものだとなりはしないだろうか?(教訓)
B 罪の継続
 A 自分の罪をめぐって絶望する罪
 B 罪の赦しについて絶望する罪(躓き)
 C キリスト教を「積極的に」廃棄し、虚偽であると宣言する罪
訳者解説


セーレン・キェルケゴール[セーレン キェルケゴール]
著・文・その他

鈴木 祐丞[スズキ ユウスケ]
翻訳

内容説明

実存主義の祖セーレン・キェルケゴール(一八一三‐五五年)。デンマークに生きた孤高の哲学者は、主著である本書で生の意味を問い、「死に至る病とは絶望のことである」という鮮烈な主張を打ち出した。そして「絶望」と「罪」の診断から「病」の治癒に至る道筋を描く。絶望が深まる21世紀の世界に限りない教えと救いを与える決定的名著、ここに甦る。

目次

第1編 死に至る病とは絶望のことである(絶望が死に至る病であるということ;この病(絶望)の普遍性
この病(絶望)の諸形態)
第2編 絶望は罪である(絶望は罪である;罪の継続)

著者等紹介

キェルケゴール,セーレン[キェルケゴール,セーレン] [Kierkegaard,Soren]
1813‐55年。デンマークの哲学者。実存主義哲学の祖とも位置づけられ、膨大な著作と日記を残した。代表作は、『死に至る病』のほか、『あれか、これか』(1843年)、『不安の概念』(1844年)

鈴木祐丞[スズキユウスケ]
1978年生まれ。現在、秋田県立大学助教。専門は、宗教哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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たーぼー

56
ケェルケゴールの近代的人間の姿を赤裸々に暴露する語りは痛快なのだが、神への溺愛と拘束から逃れることの出来ない人でもあったようだ。『絶望』というものが死に至る病、との主張の中に通俗的見解の弁証をさほど持ち込まず、キリスト者のみが死に至る病の何を意味するかを知っている、と語って憚らない。もっとも彼の場合、神からの預言を重視したのち、自己なりの弁解を加えるパターンが多く見受けられる。例えばキリスト教が厳格過ぎるがゆえに特異な帰結が生じている、とも指摘している部分が象徴的だ。(続く)2018/08/13

ころこ

45
「死に至る病」という言葉の強度だけは際立っており、第1篇B~Cに掛けて読者を惹きつける力のある文章が続きます。冒頭に辟易せずに粘り強くやり過ごし、Bから読むと良いでしょう。他方で、物足りなさを感じる理由は主に二つあります。ひとつめは、何でも弁証法で解決してしまうことです。死に至る病とは絶望のことですが、絶望とは「死が希望となるほど危険が大きくなるときの、死ぬことすらできないという希望のなさ」といっています。相反することをレトリックで繋いでいるのでいっけん難解ですが、いっていることは単純です。単純に読めてし2019/01/23

うえぽん

31
19世紀半ばのデンマークの宗教哲学者キェルケゴールが自らのキリスト教信仰をめぐる思索と苦闘の中から、絶望=罪という死に至る病を患う病人=読者に信仰に向けた治療を施す意図で書かれた著作。デンマーク語からの独特の言い回しを含めた翻訳を、一神教的世界観の土台無しに読むと難解だが、明解な訳者解説で霧が晴れた。人間を無限性と有限性、時間的なものと永遠なもの、可能性と必然性の間の関係と捉えるが、自己を措定した他者の意志を顧みず、好き勝手に関係する人間は絶望=罪の状態にあり、これを信仰により治療しようとしたものと理解。2023/10/20

春ドーナツ

14
人間とは何か。「関係である」とキルケゴールは言う。以前「存在と時間」を読んだときに人間とは時間であると腑に落ちた。私の勘ではキルケゴールのテーゼとも関係があると思う。印象的だったのは「自己と自己自身」の関係というフレーズである。哲学書に挑戦するとき、自分なりのパラフレーズが閃くとうれしい。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「私」と切り離された「影」に当てはめて、物語の連なりを思い出す。「私」と「影」どっちが自己で自己自身かを判断するのは難しい。それぞれの要素がどちらにも含まれているからだ。2023/12/08

Olive

12
キルケゴールにして人間は無限性と有限性、可能性と必然性の軸の中心にバランスを取りながら生きている。どちらに転んでも絶望が待ち受ける。死にいたる病とは絶望なのだ。 人間はそのバランスを自力ではとれず、破滅を理解する者が神を信じるのである。これはキリスト教への布教の書でもある。絶望の人間の在り方は神の前でそれは罪となる。 真の自己追究には、一切をかけるものを見つけろなんだけれども、確かに現代にあてはまる部分があることは否めないが、今ここで日々の倖せを慈しむ生活を見直してはどうか、そんな気持ちにもなった。2023/02/25

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