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講談社文芸文庫
柄谷行人インタヴューズ1977‐2001

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  • サイズ 文庫判/ページ数 320p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784062902205
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0195

出版社内容情報

単行本未収録インタヴュー集第一弾。イェール大学での講義を終えてからNAMでの活動を始める21世紀初頭までの発言と軌跡を辿る。単行本未収録インタヴュー集第一弾。
イェール大学での講義を終えてからNAMでの活動を始める21世紀初頭までの発言と軌跡を辿る。

※本書収録の13篇のうち「不可知の“階級”と『ブリュメール十八日』」は、情況出版編集部編『マルクスを読む』(1999年11月、情況出版)を底本とし、それ以外は初出紙誌を底本としました。

柄谷 行人[カラタニ コウジン]
著・文・その他

内容説明

初のアメリカ滞在後の一九七七年から、NAMの渦中にあった二〇〇一年まで、単行本未収録インタヴューを中心に十三篇集成。『日本近代文学の起源』『隠喩としての建築』『探究』『“戦前”の思考』『倫理21』と繋がる、強靱な思考の展開を、自らやさしく語りかける。世界と拮抗し、常にラジカルである“柄谷思想”の最高の入門書。さらには、柄谷行人の「哲学的バイオグラフィー」ともいえる一書。

目次

思想の世界性へ
“英語ができない”はありえない
孤立と連帯の新しいパラダイム(聞き手・島弘之)
不可知の“階級”と『ブリュメール十八日』
「戦前」の思考を巡って
文学・戦後五十年いかに対処するか(聞き手・石原千秋)
中上健次の魅力と実像
単独者とインターナショナリズム
資本と国家を超えて(聞き手・王寺賢太)
岩だらけの景色のなかで
「芸術」の外で、なお
文学と運動
飛躍と転回

著者等紹介

柄谷行人[カラタニコウジン]
1941・8・6~。批評家。兵庫県生まれ。1965年、東京大学経済学部卒業。67年、同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授などを歴任。また批評誌「季刊思潮」「批評空間」を創刊。主な著書に『マルクスその可能性の中心』(亀井勝一郎賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

36
柄谷のインタビューや対談は他の言論人に比べても異様に多いはずだ。聞かれたことをその場に思いついたことを答え、インタビュー間の整合性など考えていないだろう。読者も正確な情報を期待しているわけでもないだろう。今やっている交換様式よりも、様々と変遷していて、何となく答えているが、随所に鋭さをみせるこの時代の一見どうでもよい細部に面白さをみつける。2023/07/01

壱萬参仟縁

19
マルクス『資本論』の中の制度は、 言語も制度で、 歴史全体を考えているわけではない と注釈が語られる(14頁)。 英語の文法理解なしにオーラル英語も なかなか難しい(21頁)というスタンスは、 英語の授業は基本的に英語、 という時流の中で、 基本は文法ということを教えている。 田舎の人間のほうがホスピタリティを 知っている(35頁)。 日本人は大方まだ中産階級 だと思っている。   2014/06/26

袖崎いたる

10
柄谷行人さんのバックボーンはマルクスと夏目漱石だろうと、ぼくは遠目ながらに思っている。そんな柄谷さんの文章で、いや何も柄谷さんばかりではなく他にも色々なところでマルクスが語られているのを見ると、ぼくはマルクスが怖くなる。「思想の世界性へ」のなかで『資本論』はあらゆる制度に対する批判なのだと柄谷さんはいう。<マルクス-柄谷>のカップリング・エピソードは確かwikiにも載っていたように思うけど、どうしてか、柄谷さんの文章を読んだ後に『資本論』を読む気にはなれない。ぼくの被害妄想で、幻想の柄谷さんから「読むな!2015/08/12

フリウリ

6
柄谷行人の別の本を読もうと思いつつ、周辺をウロウロしているここ数年。個人的なことでは、本書に出てくる「死の欲動」「滅亡する世界」「decentな終わり方」といったコトバから、「滅びようと望む人間」(ニーチェ)を想起するなど、ヒントになるようなことがたくさんあって、おもしろいです。ところで、インタビュアーは、「まったく何も知らない人」は論外として、「あまりよく知らなくても、聞いて、理解しようと努める人」「知っていても、知らないふり、バカなふりのできる人」がよいと、編集的には思いました。82023/05/31

OjohmbonX

3
「蓮實風のテクスト論的な批評が映画を文学にしてしまい、ダメにしてしまった」と語っていて、文学ももともと創作主体なんてなかったけど著作権ができてから出てきた、映画は建築みたいにみんなで作るから「誰それの作品」と断言するのが難しかったはずだけど、監督に著作権ができて、さらに作家主義的な批評も成立したから作家性への異議申し立ての側面が消えた、といった話で、たぶん蓮實本人は作家性の否定もしててもっと多面的に映画を語ってるけど、そこを捨てて作家主義的な批評の面しか見ずに真似した人たちが悪かった、って話なんだと思う。2016/12/23

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