出版社内容情報
「歴史主義的普遍性」の基盤を大胆に覆す知 新たな思考の視座を布置・構築して行く、最も現代的な「知の震源」柄谷行人の鮮やかにして果敢な快著。名著『マルクスその可能性の中心』につづく柄谷思想の原点
柄谷 行人[カラタニ コウジン]
著・文・その他
内容説明
「歴史主義的普遍性」の基盤を大胆に覆す鋭い知性。新たな思考の視座を極めて丹念に布置・構築して行く、最も現代的な「知の震源」柄谷行人の鮮やかにして果敢な挑戦。名著『マルクスその可能性の中心』につづく柄谷思想の原点となる歴史的快著。
目次
1 風景の発見
2 内面の発見
3 告白という制度
4 病という意味
5 児童の発見
6 構成力について
著者等紹介
柄谷行人[カラタニコウジン]
1941・8・6~。文芸批評家。兵庫県生まれ。1965年、東京大学経済学部卒業。67年、同大学大学院英文学修士課程修了。69年、「「意識」と「自然」―漱石試論」で群像新人文学賞を受賞。75年から77年、80年から81年、83年から84年と、イエール大学、コロンビア大学の研究員を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
35
冒頭で漱石が引かれているように、いわゆる「文学とは何か」に属する系譜にあるといわれています。が、それらと決定的に違うのは、文学を外部から規定しようとしているところにあります。読んでみると「文学とは何か」よりも、むしろフーコーのアルケオロジーに近い印象を受けます。言うまでも無く、ヨーロッパでも近代文学は論じられていますが、日本において決定的に異なるのは、明治維新により西洋近代を導入したように、近代人の思考のフォーマットとして近代文学が人工的に制度として導入されたことにあります。現在の我々は、その西洋近代およ2020/08/03
しゅん
17
本書は同じ主張を繰り返している。「日本における文学は「内面」という人工概念を「自然」とみなすことで発展した」ということだ。「内面」は自明のものではなく、西洋において歴史的に作られた制度である。内面や心を当然あるものとして普段受け入れている人間(自分も含む)にはにわかに受け入れがたいが、柄谷はフーコーの分析などを要に断言する。「風景」も「児童」も、「内面」を反映できるものとして発見された。こうした議論の根幹には、言葉が内面を作ってしまうという現象への切実な興味がある。故に、議題は「小説」の枠を超えている。2021/12/17
長谷川透
17
何を持って起源とするのか、本書は明確に指差しているわけではない。一人の作家の登場が起源でもなければ何かの文学的なムーブメントを以て起源とするわけではない。維新以降の文言一致文体の興りは、近代文学の起源のきっかけにはなったろうが、文言一致に明確なルールがあったわけではなく、作家は手探りで文言一致文体を獲得していたと言うから面白い。『日本近代短編小説選-明治篇1』などを改めて読んでみると確かに文体に四苦八苦している様子が読み取れる。勿論、文体以外の観点からも起源を探る試みが為されており、目から鱗の連発だった。2013/04/10
瓜坊
14
近代の「制度」によって生まれた、対象化される風景や児童、内面、文学の深さ、これらが自明なものになるとその起源は忘れ去られる。さらにそれを忘れた上での論争や批判、たとえば「児童文学にほんとうの児童が描かれるか」なんて議論はより一層起源を覆い隠してしまうだけでなく、制度そのものを強固に補完することになる。近代以降の人間に内面が生まれたから内面が描けたのではなく、告白という制度や言文一致体という文体の創出によって生まれてくるものが今我々が考えるような「内面」であり、こういった認識の転倒を解かなければならない。2018/03/06
anarchy_in_oita
8
文学・風景・内面・児童…私たちはこれらの言葉を所与として存在する実体として受け取り、決してその歴史性に目を向けることはない。心身二元論で「ココロ」が優越しようが「カラダ」が優越しようがどちらでもよろしい。問題はこの対立を打ち立てる制度そのものである。今まで素朴に上記概念の存在を信じて生きてきた自分にとって、本書を読み進めることはそのまま脳みその中身が書き換えられるような刺激的な体験であった。抜群に面白かったし間違いなく個人的2020上半期ベスト。次は探求1・2でも読んでみるか…2020/07/11