講談社文芸文庫<br> 回想の太宰治

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講談社文芸文庫
回想の太宰治

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  • サイズ 文庫判/ページ数 336p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062900072
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0195

出版社内容情報

濃やかな愛情と明晰な目がとらえた人間太宰治

太宰治は、文字通り文学のために生まれ、文学のために育ち、文学のために生きた「文学の寵児」だった。彼から文学を取り除くと、そこには嬰児のようなおとなが途方に暮れて立ちつくす姿があった――。戦中戦後の10年間、妻であった著者が、共に暮らした日々のさま、友人知人との交流、疎開した青森の思い出など、豊富なエピソードで綴る回想記。淡々とした文にも人間太宰の赤裸な姿が躍如とする好著。

伊藤比呂美
これは、凄い本に出会ったものであります。質も量も。明晰さも、たしかさも、怖ろしさも。科学者の随筆みたいな、美しい揺るぎのない日本語で、太宰治は凝視され、記憶され、保存される。この著者が、昭和の初期に、太宰の妻であり、ともに暮らし、子をなして、日々会話し、身の回りの世話をし、親戚や食卓や経済を共有していたかと思うと、トカトントン。そこらの男の何十倍も聡明だった女の記録であり、記録をよそおった文学であります。――<「解説」より>

※本書は、『回想の太宰治』(昭和58年6月 講談社文庫刊)を底本としましたが、「アヤの懐旧談」を削除し、『増補改訂版 回想の太宰治』(平成9年8月 人文書院刊)より、「蔵の前の渡り廊下」「南台寺」「父のこと、兄のこと」「『水中の友』」の4篇を収録しました。

津島 美知子[ツシマ ミチコ]
著・文・その他

内容説明

太宰治は、文字通り文学のために生まれ、文学のために育ち、文学のために生きた「文学の寵児」だった。彼から文学を取り除くと、そこには嬰児のようなおとなが途方に暮れて立ちつくす姿があった―。戦中戦後の十年間、妻であった著者が、共に暮らした日々のさま、友人知人との交流、疎開した青森の思い出など、豊富なエピソードで綴る回想記。淡々とした文にも人間太宰の赤裸な姿が躍如とする好著。

目次

御坂峠
寿館
御崎町
三鷹
甲府から津軽へ
書斎
初めて金木に行ったとき
白湯と梅干
千代田村ほか
津軽言葉〔ほか〕

著者等紹介

津島美知子[ツシマミチコ]
1912(明治45)年1月31日、島根県浜田(現・浜田市)に生まれる。1929(昭和4)年、甲府高等女学校(現・甲府西高校)を卒業して、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)に入学。東京女高師を卒業して、山梨県の都留高等女学校に勤め、地理・歴史を教える。1939(昭和14)年、井伏鱒二夫妻の媒酌により、二七歳で津島修治(太宰治)と結婚。以後、口述筆記などをして夫の作家活動を支える。太宰死後、三人の子供の養育に心を注ぎながら、太宰の関係資料、遺稿を保存整理し、年譜の作成、全集の編集や解説の執筆に携わるなどした。1997(平成9)年2月1日、虚血性心疾患で死去。享年八五歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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佐島楓

69
ひととしての太宰も、作家としての太宰も愛していたひとだということが伝わってきて、ひどく切ない気持ちになった。ただ太宰というひとは、いつの時代に生まれていてもこういうひとだったろうという根拠のない確信が私にはある。知人にいたら迷惑だが、才能はどうしようもなくあるという。2018/05/21

Willie the Wildcat

65
著者の”喜怒哀楽”で振り返ってみる。義母見舞いで訪れた初めての金木。行き詰まる滞在の最終日、「太宰が町案内に著者を誘う」が”喜”。対照的な「時計」は”怒”。但し、読む側は笑うけど。そして”哀”はもれなく「京姉の死」。心の支えの喪失という感。最後の”楽”は「りんご箱の木箱の裏側」。旧稿か、秘宝だね。その他にも、筆名の謂れや”くしゃみ連発、津島家の家訓”トリ/味噌”!?など盛りだくさん。作品のエピソードから1点選ぶとすると、やはり『パンドラの匣』。2つの”喪失”を乗り越えた想いと運命。踏まえて熟読したい。2018/07/18

けぴ

54
太宰治の妻、津島美知子さんによるエッセイ。時系列というより、テーマごとに分類されている。何でも人に物をあげてしまう気前の良さ、子供時代は演劇にハマっていた様子など意外と陽気。しかし戦前戦後の時代のせいでそれほど裕福な暮らしではなさそう。井伏鱒二や佐藤春夫など、現在の評価は必ずしも高くない作家を師匠的に仰いでいるのも興味深かった。玉川上水入水自殺で亡くなったのは38歳、1948年。生きている期間が短いながら、多作。失敗原稿を貼った箱から原稿を剥がして太宰治の貴重な資料とする話が良かった。2021/06/27

Y2K☮

42
美知子夫人のエッセイ。夫とは異なる理知的で引き締まった文章。真面目で粘り強い人間性が垣間見える。太宰のダメな点に呆れつつ、立てる所はちゃんと立てる。たけさんについて書かれた章は「津軽」ファンに軽い衝撃。ただ小説という虚構の中でのみ浮かび上がる真実もあるから、これは別の側面として受け止めておく。津軽の様々な風習や方言が面白いし、戦後売れっ子になった太宰の収入に関する誤情報もしっかり正されている。創作の背景なども興味深いので太宰ファンはぜひどうぞ。なお山崎富栄や太田静子への言及は無し。支え続けた妻の矜持、か。2015/07/07

てん

31
太宰治の妻が太宰について書いた様々な文章。そのへんの作家や研究者はかなわない文章力、分析力だと思う。太宰の想像以上のダメ夫ぶり、その一方で原稿の締め切りを破ったことがないという意外さ、金木の人々や暮らしぶりなど大変興味深い。この妻がいてこそ(決してそれは山崎富栄ではない)太宰の多くの作品が世に出たのだと思われる。時代のせいなのか、当時女性としてトップクラスの知性をもつ著者もそれを犠牲にして太宰の妻として暮らした。でもそのおかげでこのような第一級の史料になりうる本が生まれた。複雑な思いだ。2020/07/17

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