講談社現代新書<br> 善の根拠

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講談社現代新書
善の根拠

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  • サイズ 新書判/ページ数 240p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784062882934
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0215

出版社内容情報

善とは何か? その根拠は? 根拠なき不毛の時代にこそ改めて問う。気鋭の禅僧が現代の難問中の難問に果敢に挑む問題作!「なぜ人を殺してはいけないのですか?」──従来は当たり前だと思われていたことにまで、その理由を説明しなければならない時代。「常識」の底が抜け、すべてのものごとに、根拠がなくなってしまった時代。「善きこと」に対する信頼が、すっかり失われてしまった時代──そんな現代だからこそ、今一度、「よいこと」すなわち「善」とは何なのか、その根拠は何なのかを考えてみることが必要とされているのではないでしょうか? 人間という、限界あるか弱い存在の内に、善を求める態度、すなわち本当の意味での「倫理」が立ち上がるために必要な条件は何か? 本書は、恐山を主な舞台にして積極的な活動を展開する気鋭の禅僧が、仏教者としての立場から、現代における難問中の難問に果敢に挑む問題作です。根拠なき不毛の時代にこそ必読!

はじめに そのそも「善」に根拠はあるのか?
第1部 理論篇
第2部 対話篇
あとがき


南 直哉[ミナミ ジキサイ]
著・文・その他

内容説明

善悪について間違いなく言えることは、善悪が人間にしか必要とされないことである。つまり、善悪の区別は、人間の在り方そのものに関わる問題なのである。僧侶にはこれを論じる責任がある。恐山の禅僧が現代最大の難問に挑む。

目次

第1部 「自己」への意志―善悪の極限へ(問題は何か;善悪の根拠、あるいは無根拠;善悪の意味;善悪の実践)
第2部 対話篇(なぜ根拠を問うのか;倫理をめぐる仏教の困難;「ニルヴァーナ」の問題性;「自己」という実存と倫理 ほか)

著者等紹介

南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。禅僧。青森県恐山菩提寺院代(山主代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約二〇年の修行生活をおくる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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姉勤

38
ネットの炎上や、マスコミ発信のバッシングに見られる見苦しい行為を容認してしまうのは、批判者が「善」であり対象者が「悪」である前提があるから。 しかし、仏教の立場から見れば、善も悪も自他の関係性に依存する根拠のないもの、「空」に帰してしまう。絶対神が保証する一神教の善に対し、涅槃に至るという曖昧なものを目的にする仏教が、なぜ戒律を定めるのかを、表題に絡め前半で解説し、後半は対話方式で一つづつ解答していく。わかったような、わかってないような気分を残して、寝かしておく。 2016/07/08

さっちも

23
過酷なニヒリズムの先に、ほの明るい希望の光を提示され嬉しくなる。無意味、無根拠、無価値、いいじゃないか。依拠すべき何モノもないという自覚からの跳躍こそが、仏教の目指す主体だと思う。それは所詮、縁起のパラダイムからみれば「他者に課せられた自己」という、括弧つきの主体にすぎない。さめた自覚のうえで、それを受容し、維持しつつ、解消しようという意思によってのみ「善」が維持される。「因果」を頼りにこの切なくもろい営みを続けることが、「無常」の倫理を標榜する仏教の善行なのじゃないか。驚くべき密度の本でした。2019/03/17

ねこさん

19
善も悪も、他者との関係性の中でしか生じ得ない。著者は、他者から課された自己を覚悟をもって再受容し、能動的に行為することが善であり、拒否が悪と言う。人の社会的行為は復讐と贈与で分析可能だと、僕自身は思う。つまり善とは、未来の自己を含めた未存在の他者を絶望させないためだけに贈与に身心を投じること、具体的な対象を持たず、報酬を想起せず、作為なく。その回収の見込みのない互酬性の中にある時間が善で、対して無自覚な復讐、生い立ちや過去の不足、損失の経験を回収しようとする行為、善の看過という選択の時間が悪になると思う。2022/05/29

19
真の殺人鬼は「あの質問」をしてはこない。(小説を持ち出していいかわからないが)『マリアビートル(伊坂幸太郎)』の王子も、心の片隅で止めてほしかったんだろうか▼子どもを「授かる」と呼んだ時代は後景に退き、「つくる」そして「注文する」のが当たり前になる時代へ。愛の互酬性(「愛されたから愛する」「愛しているから服従させる」)も厄介な問題だけれど、これからは「コスパ」ばかりが声高に叫ばれる時代になるとすれば、その方が悩ましい。2018/07/30

さっちも

13
もっと集中力がある時に読みたかった。経験的にも、思考も追いつかなかったけど、著者の本が語りかけるところが、今自分に一番に響く命題やなと思う。岡本太郎美術館で見たのだけど、父親が不倫を続ける妻の(太郎の母親)について、「かの子の業を全て受け止めようと思う」というような事を息子に手紙を書いていて、なんだか泣けた。太郎親子は不倫相手と同居を続けていたのだけど、、、、良い悪いで裁断するのは簡単で、愛してるとか、いつか変わるとかの互酬性も違う。親子という関係を救うという行為に身を投げだす感じに感銘を受けた。2017/06/07

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