内容説明
西田は西田ではないことで西田である?絶対矛盾的自己同一とは、どんな理論なのか?
目次
第1章 絶対矛盾的自己同一という「謎」(歴史の形成作用と種の論理;絶対矛盾的自己同一の直観;西田の論理と形而上学)
第2章 うそつきの論理学(うそつきと矛盾;言語階層の分化とその重なり;真理の判定)
第3章 コミュニケーションの真理(意味と真理;対話の「愛」とその意味;「謎」の解釈)
第4章 「欺く神」の論理学(真理の根拠としての「絶対無」;「欺く神」の真理;「うそつき」の真実)
第5章 歴史の論理学(行為的直観の論理;事実としての宗教;「近代の超克」の他者)
著者等紹介
荒谷大輔[アラヤダイスケ]
1974年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、江戸川大学准教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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pino
2
ラカンが分析する「アタリーの対話」から、西田の「絶対矛盾的自己同一」を説明するくだりがよかった。「分からない、けど分かりたい」という思いをまさに西田の文章に抱いているわけだけれど、その懐疑に陥ることが「絶対の他」と出会うということであり、そこで理解しようとより深く書物を読んだり、あるいは対話でもいいのだけれど、絶対の他と関わることで絶対無の中から「何か=神=真理」を掬い出すとが、「自己を殺して自己が生きる」ということ。他があって自分がいる。2020/02/24
じょに
0
西田の「絶対無の場所」や「絶対矛盾的自己同一」を、タルスキ・クリプキ・デイビッドソンやらのパラドックスを巡る分析哲学と突き合わせ、可能性の中心を読み(換え)深めていきましょうという感じ。西田云々よりも、デイビッドソンのチャリティの原理の先に、ラカンのシニフィアンが繋がっていくってのは目から鱗。今まで思い付かなかった。確かに確かに。2009/04/14
KEN_NAIITO
0
勉強になった2009/01/31