出版社内容情報
2008年大河ドラマ「篤姫」原作
大奥3000人を率い、皇妹和宮を迎えた篤姫の矜持。
将軍家定の急死、継嗣をめぐる幕府内の対立、養父斉彬の死。篤姫は、家定との結婚が斉彬の遠大な野望であったことを知り慄然とする。天璋院となったのちも総帥として大奥を統(す)べ、皇妹和宮の降嫁、大政奉還等、激動の幕末を徳川家の人間として徳川宗家のために生き抜いた篤姫の偉大な生涯を描いた歴史長編。
継 嗣(承前)
降 嫁
動 乱
余 生
書き終えて
対談『天璋院篤姫』について
綱淵謙錠・宮尾登美子
宮尾 登美子[ミヤオ トミコ]
著・文・その他
内容説明
将軍家定の急死、継嗣をめぐる幕府内の対立、養父斉彬の死。篤姫は、家定との結婚が斉彬の遠大な野望であったことを知り慄然とする。天璋院となったのちも総帥として大奥を統べ、皇妹和宮の降嫁、大政奉還等、激動の幕末を徳川家の人間として徳川宗家のために生き抜いた篤姫の偉大な生涯を描いた歴史長編。
著者等紹介
宮尾登美子[ミヤオトミコ]
1926年高知市生まれ。高知市高坂高等女学校卒業。1962年第5回女流新人賞を『連』で受賞。1973年『櫂』で第9回太宰治賞受賞。1979年『一絃の琴』により第80回直木賞受賞。主な作品に『寒椿』(第16回女流文学賞)、『序の舞』(第17回吉川英治文学賞)等がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
takaC
99
於篤が最期に何の病に倒れたのかも知りたかったな。2018/05/26
ALATA
95
幕臣榎本武揚が五稜郭で最後の抵抗を続ける中、江戸城明け渡しが決まった。三代の将軍に仕え討幕の機運が高まるなか徳川家存続に一身を捧げる天璋院篤姫の思いがやるせない。大奥で継嗣問題、宮家からの入與と降嫁と諸問題を 差配いていくところは優れた器量の持ち主だったのだろう。薩摩藩に向け「嫁ぎ先の家が終焉の地」と言い放った言葉に覚悟を感じる。史実はうかがい知れないが十五代将軍家慶の胆力のなさが江戸幕府崩壊の一因か。★5※一橋にて和宮や西郷、勝海舟との触れ合いは人生もっとも穏やかな余生だったのだろう。2024/11/05
はたっぴ
92
先日読んだ『和宮様御留』で朝廷側から見た〝大奥〟が興味深く描かれていたため、こちらの作品を懐かしく再読。天璋院や和宮が迎えた幕末を大奥側から捉えた大作である。数千人におよぶ部下を束ねる御台所となった天璋院のリーダーシップには(何度読んでも)痺れるばかり。公家と武家の女達の確執も一読者としては物珍しく、覗き見る気持ちで追いかけた。病弱な主君(家定)に代わり、女性としての慎みとトップとしての統率力を兼ね備えた聡明な人物として、余すところなくその魅力が語られており、コミュニケーションに関するお手本にもなる。2018/05/28
molysk
85
将軍継嗣は紀州慶福に決した。それは、一橋慶喜を推す島津の意に沿うものではなく、徳川の女として生きる意を決した篤姫の考えでもあった。夫家定、養父斉彬との突然の別れ。公武合体の機運高まり、家茂の御台所として皇女和宮を大奥に迎える。徳川の女として家茂を支える覚悟を和宮に求めるも、皇族としての生きざまを改める気概を感じ取れないまま、篤姫と和宮の間には埋めがたい溝を残す。家茂の急逝、慶喜の擁立と幕府軍の敗退。生家島津の軍勢の前に、いまや崩れ去らんとする大奥と幕府を、最後まで凛と支え続けたのが、篤姫その人であった。2021/08/15
TakaUP48
69
将軍家定薨去も、篤姫への通知は一月後。養父斉彬も薨去し、天璋院篤姫となる。14代将軍は慶福(家茂)となり、公武合体の策により孝明天皇の妹和宮を正室として迎える。京風・江戸風争いで大奥は大荒れ。長州征伐に向かう家茂は、次期将軍を亀之助(家達)と伝え大坂へ行くも病死。篤姫等の願い叶わず、慶喜15代将軍に。とき既に、御一新。慶喜は蟄居、江戸城明渡し。大奥から数回の移転を経て千駄ヶ谷に移り、徳川本家家達の教育は祖母の篤姫が。武家社会において、娘を政略に利用した時代。激動の歳月に身を晒して生きた篤姫、48歳の生涯。2022/09/19
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