目次
第1章 砂漠のなかの砂漠
第2章 形而上学とは何か
第3章 言語・暴力・反復
第4章 法・暴力・正義
第5章 メシア的なものと責任の思考
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
寛生
24
今まで読んできたデリダの所謂「注解書」「入門書」の中ではかなりすぐれている。高橋哲哉だからこそ書ける注解書だと思う。デリダ自身の思想・哲学に信じられないほど忠実であり、デリダの亡霊が高橋哲哉の手にのりうつって書いたのだろう。ただもう少しレヴィナスの倫理性、レヴィナスのパッションを理解してほしかったが、これもデリダのレヴィナス理解に忠実であるからだろう。それと、デリダの犠牲論について、かなり展開されている。それがとても面白いのだが、デリダ自身のその立場に、私は疑問を持つ。でも、この本、tres bien!2013/09/24
chanvesa
18
「法の創設、『立法』の行為は、本質的、構造的に無根拠な『力の一撃』であり、実力行使である。議会などで『合法的』に立法する場合でも、当の議会自身の『合法性』の期限、その『権威』の起源をさかのぼっていけば、必ず、それ自身はもはやどんな法に従っているともいえない『力の一撃』に至るだろう。」(193頁)この指摘は政治がフィクションになりたっていることを暴いている。デリダの特異性、見事さは「正義と法=権利という二つの次元は、それらの異質性において分離不可能」という絶望に近いアポリアを、「アポリア的正義への責任」2017/10/28
竹花 樒 - Shikimi Takehana
6
難解だが、面白い。「パルマコン」ないしは「エクリチュール」がロゴスの法に、「正義のアポリア」が法=権力に決定不可能性の「幽霊」として取り憑くことで現前しえない正義へと向かう脱構築の運動を導くデリダの仕事を高橋は記述していく。故にデリダはこう云うのだ。「脱構築は正義である」と。他方、決定不可能性の中での「決定」は「ある種の狂気」として、キルケゴールに接近する中で読まれていく。ここで「散種」=「アブラハム的放棄」に繋がり「まったき他者」への無限の責任の中に可能性をみる肯定の思想としての脱構築が垣間見えていた。2011/05/09
ハニ
2
読みやすくて差延や反復可能性はよくわかったが途中集中力が切れて4章から頭に入ってない。デリダの本を数冊借りてるので読んでみたい。2011/10/10
gerumanium
2
ジャック・デリダの思想に関する書籍。彼に対する評価は常に誤解に晒されてきた。一方ではニヒリスト、一方では抽象的な言説を駆使する人間と見なされた。だが彼の根源的な肯定に関する思想は私も同意するとこである。私にとって彼の思想はどのようなものであろうか。わからない。私は存在なき神を空虚ではないと言えるであろうか。2010/11/15