講談社選書メチエ<br> 福沢諭吉の朝鮮―日朝清関係のなかの「脱亜」

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講談社選書メチエ
福沢諭吉の朝鮮―日朝清関係のなかの「脱亜」

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  • サイズ B6判/ページ数 304p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062586139
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0320

出版社内容情報

福沢は朝鮮侵略論者か、独立の支援者か。諸発言の状況追随性とリベラルな帝国主義者としての立場を明らかにし、論争に終止符を撃つ。朝鮮侵略論者か、独立の支援者か――? 福沢諭吉の朝鮮論をめぐる論争に終止符を打つ!

「絶えざる転向」により多くの解釈を生むことになった福沢の朝鮮論。本書では、福沢と朝鮮開化派との個人的関係と、『時事新報』での言説を軸に、日朝清関係史のなかでそれを読み解いていく。そこに見えるのは、福沢の情念であり、「リベラルな帝国主義者」という19世紀的な立場が挫折してゆく過程であるとともに、アジア主義の本質的矛盾と、現代日本の東アジア関係との連続性でもあった。



このように朝鮮近代史の展開という状況に着目すると……甲申政変の失敗からその発表までに三カ月も空いているのはなぜかというような疑問が新たに浮かんでこよう。社説「脱亜論」の背景には、これまで踏まえられていない日本と朝鮮をめぐる「状況」があるのではないか。……本書は朝鮮近代史研究者の立場から、当時の日本と朝鮮をめぐる状況をより明確にしたうえで、朝鮮改造論から「脱亜論」、さらには日清戦争後にわたる福沢の朝鮮論を読んでいく。――序章より抜粋

■序章 福沢諭吉の朝鮮論をどう読むか
■第一章  「朝鮮改造論」から「脱亜論」へ
1 壬午軍乱以前の朝鮮「独立」論
2 壬午軍乱と朝鮮「独立」論の変容
3 「朝鮮改造論」の再展開とその放棄
■第二章 ロシアの脅威と「朝鮮改造論」の放棄
1 イギリスの巨文島占領と「朝鮮改造論」の放棄
2 巨文島事件による中国評価の転換
3 沈黙期の朝鮮関係社説
■第三章 「世界文明の立場」からの「朝鮮改造論」
1 朝鮮開化派の動向と金玉均の暗殺
2 日清戦争時の「朝鮮改造論」
3 甲午改革と「朝鮮改造論」の展開
■終章 福沢諭吉の挫折としての朝鮮問題
1 『福翁自伝』における朝鮮
2 「義侠心」と「文明主義」の破綻
3 「義侠心」と「脱亜」の行方
おわりに


月脚 達彦[ツキアシ タツヒコ]
著・文・その他

内容説明

「転向者」福沢の思想/情念、「アジア主義」の本質的矛盾、挫折する「リベラルな帝国主義」…。『時事新報』での言説と朝鮮開化派との個人的関係から、真実の福沢諭吉像と現代日本の東アジア関係との連続性を提示する。

目次

序章 福沢諭吉の朝鮮論をどう読むか(福沢諭吉の朝鮮との出会い;福沢の「アジア盟主論」;「アジア主義」の成立と福沢諭吉;社説「脱亜論」の内容;「状況的発言」としての社説「脱亜論」;本書の目的と構成)
第1章 「朝鮮改造論」から「脱亜論」へ(壬午軍乱以前の朝鮮「独立」論;壬午軍乱と朝鮮「独立」論の変容;「朝鮮改造論」の再展開とその放棄)
第2章 ロシアの脅威と「朝鮮改造論」の放棄(イギリスの巨文島占領と「朝鮮改造論」の放棄;巨文島事件による中国評価の転換;沈黙期の朝鮮関係社説)
第3章 「世界文明の立場」からの「朝鮮改造論」(朝鮮開化派の動向と金玉均の暗殺;日清戦争時の「朝鮮改造論」;甲午改革と「朝鮮改造論」の展開)
終章 福沢諭吉の挫折としての朝鮮問題(『福翁自伝』における朝鮮;「義侠心」と「文明主義」の破綻;「義侠心」と「脱亜」の行方)

著者等紹介

月脚達彦[ツキアシタツヒコ]
1962年、北海道生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院教授。専攻は朝鮮近代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

かんがく

11
国際背景とともに福沢諭吉の時事新報社説を分析し、朝鮮改造論と脱亜論の動きを「リベラルな帝国主義」と位置づける。ヨーロッパとの対比の中で意識された「アジア」という曖昧な概念の中で、「文明」「独立」という西洋モデルの国の形をいかに実現させるかが明治期日本の課題であった。2020/07/05

さとうしん

2
福沢諭吉の朝鮮論と言えば「脱亜論」が知られるが、それ以外の朝鮮関係の社説はどういう内容で、どういう背景のもとで書かれたのか、そして福沢自身と朝鮮人との関わりはどのようなものだったのかを探る。当時慶應義塾に朝鮮からの留学生が相当数存在し、兪吉濬のように福沢の息子ともどもの付き合いとなった者や、祖国の政府高官となった者も存在するということで、当事者として、実際に交友を持った朝鮮人や、日朝清三ヵ国間の関係に散々振り回された上での「脱亜論」ということになりそうだ。2015/12/21

mk

0
西欧の「文明」に染まって支配する側となるか、中華の「野蛮」に留まり支配される側となるか…二元的な価値判断のなかでゆれ動き続けた19世紀後半の《日朝清》三国志。「リベラルな帝国主義者」福沢諭吉の心に芽生えた朝鮮改造熱の高まりから、その消沈までの顛末を素材にその経過を論じる。実直な史料分析を通じて手堅く論証されており、現在これからの東アジア地域を省みる上でも、100年前のアジア「外交評論」の実態に迫った本書は貴重な報告である。しかし、結局最後まで現地と没交渉の福沢を「アジア主義者」と見ることは贔屓目が過ぎる。2016/11/19

takao

0
☆朝鮮の併合には反対するものの、日本の同化主義的朝鮮植民地支配の原型として位置づけられる。 2019/08/05

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