講談社選書メチエ<br> ベルクソン=時間と空間の哲学

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講談社選書メチエ
ベルクソン=時間と空間の哲学

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  • サイズ B6判/ページ数 240p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062585705
  • NDC分類 135.4
  • Cコード C0310

出版社内容情報

時間が流れているとはどういうことか。〈わたし〉とはなにか? 哲学の根源的な問いをたずさえて熱く読み解くベルクソン哲学の本質。ベルクソンといえば、かつては有名だったけれども、いまやあまり見向きもされなくなった哲学者、というようなイメージを持つ人も、あるいはいらっしゃるかもしれません。しかしながら、ひとつには、現代哲学の巨人といわれるドゥルーズとの影響関係があらためて注目されるという状況もあり、現代哲学に欠かせないキーパーソンとして、昨今、急激に再評価されつつあります。
本書は、それでは今こそ読み返すべきベルクソンの哲学とは、いったい何なのか、その本質について、ベルクソンのテキストに寄り添いながら、あらためて深く考える一冊です。
ベルクソンの思考の大きな特徴として、人間を含めたこの世界を、固定されたひとつの時点でとらえるのではなく、流れ、いわば連続としてとらえる、ということがあります。当然、人間という存在もある時点に静止したものではなく、持続するものです。この「持続(=duree)」こそが、ベルクソン哲学の根幹をなすのです。
ここから、「持続」とは時間だといってもいいでしょうし、人間とは存在の流れゆく記憶の集積だと言ってみても、違和感はないでしょう。では、その「持続」は、「いま・ここ」に存在する〈わたし〉と何の関係があるのか。何の役にたつのか。きづいてみれば、この問いこそ、あらゆる哲学の出発点でしょう。
著者は〈わたし〉とはなにか、なぜ生きているのか、という根源的な問いを手放さず、ベルクソンの思索に寄り添いながら、哲学を深めていきます。哲学的に考えることの魅力にあふれた、第一級のベルクソン論です。

第一章 ベルクソンの哲学
  1.補助点としての〈わたし〉 2.きこえてくるせかい  3. ことば 4.直観 5.空間化 6.記憶
第二章 「持続」とはなにか
  7.時間は、持続である 8.持続という空間 9.数を数える 10.理念的  空間 11.聴覚的空間 12.多様体 13.〈わたし〉=場 14.質と量の不可分性
第三章 純粋持続批判
  15.直観と記憶 16.質ということ 17.意識の二層  18.印象、感覚、感情の変化 19.純粋持続
第四章 持続は記憶である
  20.『持続と同時性』について 21.持続ふたたび  22.記憶ふたたび   23.流れの同時性 24.〈いま・ここ・わたし〉


中村 昇[ナカムラ ノボル]
著・文・その他

内容説明

視覚だけの世界では、ものはしばしば国定しているようにみえる。しかし聴覚はどうだろう。「流れ」をかたちづくっていないだろうか。ベルクソンは、この「流れ」に、すなわち変化や運動に、ものごとの本質をみようとした。それは、時間であり、時続であり、記憶の連鎖でもある。そして、そこには空間がひそんでいる―。いまふたたび脚光をあびるベルクソンの哲学を鮮やかに読み解く快著!

目次

第1章 ベルクソンの哲学(補助点としての“わたし”;きこえてくるせかい ほか)
第2章 「持続」とはなにか(時間は持続である;持続という空間 ほか)
第3章 純粋持続批判(直観と記憶;質ということ ほか)
第4章 持続は記憶である(『持続と同時性』について;持続ふたたび ほか)

著者等紹介

中村昇[ナカムラノボル]
1958年、長崎県生まれ。中央大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、中央大学教授。専攻は哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

白義

16
ベルクソンは言語による等質化、空間化を嫌い、直観を練り上げ純粋持続自体の内側に潜り込もうとした。ところが、その純粋持続自体が、メタなレベルでは言語による空間化を前提としてしまう。このアポリアを基本的に問い詰めた本だが、著者の誠実性は伝わるものの、やさしい語り口なのに話がくどすぎていて解説書としては難がある。むしろ、ベルクソンを十分知っている読者に向けての批判的注釈であり、あくまでベルクソンを通してある哲学の入り口に立てるに過ぎない。よくも悪くもすっきりした本ではないと言える2014/09/05

呼戯人

13
ベルクソンの持続の概念に焦点を合わせた「わたしは何故生きているのか」「そもそも生きるということはどういうことか」という問題に切り込もうとした著作。持続こそ時間であるというベルクソンの主張にも、純粋持続、純粋知覚といった概念を立てるとそこに空間化と物質が立ち現れる。いま、ここ、わたしという現在の瞬間を捉えようと思っても言語による概念化では捉えようもない事を論証しようとした本。すべては記憶やイマージュや言語の媒介を経ないと掴む事の出来ない現在のわからなさを論述している。これからまたベルクソンを読んでゆこう。2019/02/13

またの名

13
典型的な「われわれはなぜ生きているんだろう」という問いから書き出し、結句で再び同じ問いに戻ってしまったと書いて終わる悪無限ループの解説書。しかしベルクソンの哲学をただ解説するにとどまらない考察は、いくら本人が事実上ではなく権利上のバーチャルな存在として純粋持続や純粋記憶、純粋知覚を指し示したにしても、時間vs空間という図式が本当は成立しがたいことを明らかにする。ひとつのテーゼに安住せず常に問い続ける迷いながらの筆は誠実だけれどもベルクソンに忠実ではないので、純粋にベルクソン入門を望む向きは他もあたるべき。2016/05/28

さえきかずひこ

8
持続という概念、それからベルクソンの言う純粋持続の概念的な矛盾を徹底的に考察する一冊。ベルクソンは時間を空間化してとらえることを否定したが、持続することそのものにつきまとう空間性は否定できないとする筆者の考えはとても説得的である。これらの思考のへめぐりが筆者の存在論的かつ実存的な問いに結びついて展開されるところも読みやすい。根源的という意味でラディカルなベルクソン時間論入門である。2017/08/07

ひろ

5
言葉は便利だけど、一定のラインで意味が固定されてしまうから難しいと思う。受けて側がどのように捉えるかで、同じ単語であっても伝えたい部分がきちんと伝わらないこともあるだろう。そして、図が在るためには地が在る。という考え。そもそも空間とは?本書で何となく掴めかけてきた気がするが、まだまだ不明瞭な部分が多い。研究資料のちょとしたヒントにはなったかなぁ。2015/02/01

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