フォークソングの東京・聖地巡礼 1968‐1985

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フォークソングの東京・聖地巡礼 1968‐1985

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  • サイズ B6判/ページ数 207p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062207003
  • NDC分類 764.7
  • Cコード C0070

出版社内容情報

山谷ブルース、神田川、僕の好きな先生、卒業写真。フォークの聖地は青春の記念碑!拓郎からRC、ユーミンまで名曲の舞台を訪ねる新宿で小田和正と赤い鳥が出会い、
渋谷で忌野清志郎と仲井戸麗市と泉谷しげるが競演し、
三田で頭脳警察とはっぴいえんどと吉田拓郎がすれ違い、
四谷で南こうせつが喜多條忠に声をかけ、
高円寺で伊藤銀次が山下達郎を発見、
赤坂から荒井由実と石川セリと山崎ハコの歌声が流れる。

1960?80年代。フォークの時代。
ミュージシャンたちの若き日々。
事件と、伝説のライブと、名曲誕生の舞台を訪ねる。
東京生まれのフォーク少年が体験してきた、極私的フォーク論。

巻頭 フォークソングの東京MAP
台東区山谷 1968年9月1日 東京のフォークはここから始まる
新宿厚生年金会館 1969年11月2日 小田和正が、赤い鳥に衝撃を受けた日
御苑スタジオ 1970年2月4日 岡林、はっぴいえんどを発見す!
大田区蒲田・羽田 1970年3月 母の導きにより、鈴木慶一とあがた森魚が出会う
渋谷 青い森1970年8月 清志郎、泉谷、古井戸の青春の日々
日比谷野外音楽堂 1970年9月16日 ロックにおける日本語論争と「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」
武蔵野市吉祥寺 1971年7月 高田渡的吉祥寺の日常
後楽園球場 1971年7月17日 GFR「嵐の後楽園球場コンサート」にモップスが出演
慶應義塾大学三田キャンパス 1971年11月6日 知られざる「慶応三田祭事件」の真相  
国立市 1972年2月5日 忌野清志郎の青春をたどる
日本武道館 1972年4月22日 フォークの旗手は岡林から拓郎へ
杉並区高円寺 1972年7月21日 高円寺2つの伝説、吉田拓郎「高円寺」とロック喫茶「ムーヴィン」
福生市 1973年1月 大瀧詠一の福生ライフ始まる
新宿区高田馬場 1973年9月20日 「神田川」の横町の風呂屋はどこか?
文京公会堂 1973年9月21日 はっぴいえんど解散とシュガー・ベイブ登場
TBSラジオ 1974年8月 フォーク界に多大な貢献をした林美雄パック 
原宿 ペニーレイン 1974年12月10日 全国から修学旅行生が殺到した拓郎ファンの聖地
神田共立講堂 1975年4月12日 数多くの名コンサートが行われた聖地の中の聖地
西立川駅 1975年6月20日 初期ユーミンが描く東京の西郊
東京カテドラル聖マリア大聖堂 1978年11月1日 大聖堂に森田童子の歌声が響く
木根川橋 1979年4月10日 さだまさし少年の見た葛飾の景色
久保講堂 1980年4月5日 RCサクセション、復活を決定付けた熱狂のライブ
国立競技場 1985年6月15日 音楽史に残る大イベントか、ニューミュージックの葬式か
巻末 フォークソングの東京年表


金澤 信幸[カナザワ ノブユキ]
著・文・その他

内容説明

渋谷で忌野清志郎と仲井戸麗市と泉谷しげるが出会い、三田で頭脳警察とはっぴいえんどと吉田拓郎がすれ違った。高田馬場、高円寺、吉祥寺、福生…事件と伝説のライブと名曲誕生の舞台をめぐる。

目次

台東区山谷 東京のフォークはここから始まる―1968年9月1日 岡林信康「山谷ブルース」発売
新宿厚生年金会館(新宿区新宿) 小田和正が、赤い鳥に衝撃を受けた日―1969年11月2日 第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト決勝
御苑スタジオ(新宿区新宿1丁目) 岡林、はっぴいえんどを発見す!―1970年2月4日
大田区蒲田・羽田 母の導きにより、鈴木慶一とあがた森魚が出会う―1970年3月
青い森(渋谷区宮益坂) 清志郎、泉谷、古井戸の青春の日々―1970年8月 古井戸結成
日比谷野外音楽堂(千代田区日比谷公園) ロックにおける日本語論争と「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」―1970年9月16日 第1回日本語のろっくとふぉーくのコンサート
武蔵野市吉祥寺 高田渡的吉祥寺の日常―1971年7月 武蔵野タンポポ団結成
後楽園球場(文京区後楽) グランド・ファンク・レイルロード「嵐の後楽園球場コンサート」にモップス出演―1971年7月17日
慶應義塾大学三田キャパス(港区三田) 知られざる「慶応三田祭事件」の真相―1971年11月6日
国立市 忌野清志郎の青春をたどる―1972年2月5日 「ぼくの好きな先生」発売〔ほか〕

著者等紹介

金澤信幸[カナザワノブユキ]
フリー編集者。1955年、東京都に生まれる。法政大学社会学部を卒業後、編集プロダクション、雑誌編集部を経てフリーに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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fwhd8325

32
年齢を重ねてくると、あの時が伝説になったりしていて、妙に不思議な気持ちになります。フォークソングの世界は、こどもだった私には突然登場したような印象があります。それは「バラが咲いた」ではなく「帰って来たヨッパライ」でした。そして、フォークという世界を決定づけたのが吉田拓郎です。ちょっと斜に構えた拓郎がとてもかっこよかった。フォークの世界は、自らの言葉で語ることを教えてくれたように思います。この著書は、あの時を思い出すと同時に、負け惜しみでなく、今よりももっともっと東京が魅力に溢れていたんだと感じます。2018/04/24

阿部義彦

24
フォークソングの大検証所謂メジャー(吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫)から草の根インディーズ(泉谷しげる、高田渡、RCサクセション)日本語のロックの開拓者(頭脳警察、はっぴいえんど)までその他ユーミン、さだまさし、森田童子、山崎ハコまでの人物像とそれらの音が奏でられた場所(既に現存していないものも有りますが)を巡る貴重な証言が様々な文献と著者の実体験(グランドファンクのコンサートを見たなんて!)を通して語られます。赤い鳥とオフコースの一騎打ちのライトミュージックコンテストなんて大迫力です!2018/05/17

mawaji

8
田舎の中学生でも高円寺や阿佐ヶ谷の存在は知っていました。「はっぴいえんどによってもたらされた『日本語ロック論争』はキャロルによって一蹴され、サザンオールスターズの登場により無意味なものになった」という一文は感慨深いものがあります。RCサクセッションの由来は「ある日作成しよう」ではなかったのか。パックの2部は睡魔に勝てずカセットに録音して聞いたものです。中学校の担任の原田先生が卒業文集にガリ版で寄せてくれた吉野弘「夕焼け」を高田渡が歌っていたとは。聖地巡礼したくなる一冊、とても興味深く読みました。続編希望。2018/05/20

犀門

4
No. 114★★★☆☆ずばりフォークソング世代だが、著者より少し後。なので、はっぴいえんどにまつわる話は興味深く読んだ。それと、ユーミンの『卒業写真』の背景を知れたのも収穫。2018/06/29

モモンガ

1
お、懐かしい!と書くと、トシがばれますが、日本のロック・フォークの黎明期を「ここでこんなことがあった」という切り口でうまく書かれています。2019/09/04

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