殉教者

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  • サイズ B6判/ページ数 242p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062199773
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

出版社内容情報

キリシタン迫害の嵐が迫る江戸初期、徒歩と海路で聖地に到達しローマ法王に認められながら帰国し殉教したペトロ・岐部・カスイの生涯1614年、2代将軍徳川秀忠がキリシタン禁教令を発布した。キリシタンへの迫害、拷問、殺戮が頻発し、岐部は殉教者の記録を集める。翌年、28歳の岐部はエスパニア人修道士と共に長崎から船出、40日の航海の後にマニラ港に着く。そこで入手した地図には、双六のように、マニラを振り出しに、マカオ、マラッカ、コーチン、ゴア、ポルトガルの要塞のあるホルムズ島、さらにペルシャ砂漠、シリア砂漠、遂にはエルサレムに到達する道筋がこまかく描かれていた。岐部は自らの信仰を強くすることと、イエスの苦難を追体験することを思い、胸を躍らせた。
ペトロ岐部は1587年に豊後の国東半島で生まれ、熱心なキリシタンの父母の元で育つ。13歳の時に一家は長崎に移り、岐部はセミナリオに入学を許される。ここでラテン語を習得し、聖地エルサレムと大都ローマを訪れることを強く決意する。
次に訪れたマカオでは差別に耐えながら志を貫き、何とか旅費を工面して、ミゲルと小西という二人の日本人とともに海路、インドのゴアに向かう。ゴアからローマに向かう船に乗る二人と別れた岐部は、水夫として働きながらホルムズ島に向い、そこからは駱駝の隊商で働き砂漠を通ってエルサレムを目指す。
1619年、岐部はついに聖地エルサレムの地を踏む。そこから徒歩で、イスタンブール、ベオグラード、ザグレブを経て、ヴェネツィアに。祖国を出て5年、岐部はついにローマにたどり着いた。海路で1万4500キロ、徒歩で3万8000キロ。乞食のような身なりの岐部に施しをしようとした神父が、流暢なラテン語で話す岐部に驚き、イエズス会の宿泊所に案内される。そこで岐部は、4日間にわたる試験を受け合格、イエズス会への入会を許された。
ローマとリスボンで2年間の修練を経て、帰国の許可を得た岐部は、キリシタン弾圧の荒れ狂う日本に向けて殉教の旅路についた。
信仰に生きた男の苛酷な生涯が荒廃した現代を照らす、著者渾身の書下ろし長篇小説。

加賀 乙彦[カガ オトヒコ]
著・文・その他

内容説明

キリシタン迫害が激化する江戸初期、大分でキリシタンの両親のもとに生まれたペトロ岐部カスイは、エルサレムを目指す。ある時は水夫として海を往き、またある時は駱駝曳きとして隊商に雇われ砂漠を踏破する。それはイエスの奇跡を実感するため、聖書ゆかりの土地を巡礼する旅であった。五年をかけて、ペトロ岐部はついにローマに辿り着き、イエズス会の司祭となる。そして、宣教のため、死の危険が待つ日本を目指し船に乗った。真の殉教者の生涯を描き、信仰の最奥に迫る壮大な物語。構想三〇年、著者のライフワーク書き下ろし小説。

著者等紹介

加賀乙彦[カガオトヒコ]
1929年東京都生まれ。東京大学医学部卒業後、精神科医として勤務のかたわら、小説の執筆を始める。67年に刊行した『フランドルの冬』が翌年、芸術選奨新人賞を受賞。73年に『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞、79年には『宣告』で日本文学大賞、86年に『湿原』で大佛次郎賞、98年には自伝的長編『永遠の都』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。2012年に『永遠の都』の続編にあたる自伝的大河小説『雲の都』の第四部『幸福の森』、第五部『鎮魂の海』を刊行し、ついに完結、毎日出版文化賞特別賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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優希

82
江戸時代の禁教の中、聖地エルサレムへ行った日本人がいるというのに驚かされます。ペトロ岐部は巡礼することにより、自己の信仰と向き合ったのではないでしょうか。そこに関連したイエスのことなどを絡めている。それは旅路の中でキリスト教のあり方を改めて示唆していることのように思えます。帰国することが殉教につながるとわかっていながらも、その苦難の道を選んだことこそ信仰の証のような気がしてなりません。2017/08/12

藤枝梅安

77
ペトロ岐部は、遠藤周作さんの小説で何度か取り上げられていたことを記憶しているが、「初めてエルサレムに巡礼した日本人」というくらいしか知らなかった。この本は、残された文書の内容に作者の想像を加え、それぞれの土地にまつわる聖書の記述を織り込みつつ、岐部の旅路と作者自身の旅路を重ねている。小説というよりは岐部に対する作者の鎮魂歌であろう。「私はあえて主の死に近い苦しみの死をのぞむ。おお苦しみの死こそ、主の願われた多くの人々の幸いを守る、」(p.103)これがため岐部はあえて死地を求めて日本への苦難の旅を選んだ。2016/09/25

それいゆ

69
加賀乙彦作品「高山右近」は、四苦八苦しながら読了しました。「雲の都」は難解すぎて途中でギブアップしたままです。不安いっぱいな気持ちで読み始めましたが、この作品は私のレベルに合っています。壮大な殉教への旅は読み応え十分で、同行しているかのような気分でした。エルサレムとローマでの滞在描写が宗教色満載で、難しかったですか、ペトロ岐部が列福されているのに納得しました。まもなく、高山右近の列福式が行われる予定ですが、ペトロ岐部を知ることで福者は本当にすごいんだということが分かりました。2016/06/06

NAO

58
江戸時代、激しさを増すキリスト教迫害の中、日本を抜け出し、砂漠を歩いてエルサレム巡礼を行った日本人がいた。彼が、九州各地の殉教者たちの名を殉教者名簿に記してもらうべく詳細な調査を行い、一人の殉教者の指を聖遺物としてローマの墓地に埋葬してもらおうとローマ行きを決意するようになったのは、それだけ迫害が強かったから。だが、彼の目的が最終的には殉教することだというのは、どうにもやりきれない気がする。加賀乙彦というと精神科医を主人公とした話が多く、宗教的な話は初読。でも、やっぱり、『フランドルの冬』の方が好き。2016/08/25

かおりんご

29
小説。ずっとぺトロ岐部カスイのことが気になっていたのですが、やっと読むことができました。日本人で初めてエルサレムへ行き、その後ローマに行って叙階するなんて、もう本当に信じられないくらいパワフルなお人です。自力でなんとかやっちゃうところがすごい。日本に帰ってきてからの宣教活動が、ほんのちょっぴりだったのが物足りなくもありますが、こんな司祭がいたことを知れてよかったです。2017/11/20

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