誰も書けなかった「笑芸論」―森繁久彌からビートたけしまで

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  • サイズ B40判/ページ数 236p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784062194006
  • NDC分類 779.04
  • Cコード C0095

出版社内容情報

「笑い」と共に生きてきた伝説の放送作家だからこそ、ここまで書けた!森繁からたけしまで、その伝説のすべてを晒す「体験的笑芸論」

「笑い」と共に生きてきた伝説の放送作家だからこそ、ここまで書けた!森繁からたけしまで、その伝説のすべてを晒す「体験的笑芸論」
第一章 「体験的・笑芸六〇年史」 
森繁久彌の横の家に生まれ、森繁氏の庭の柿を盗み、子犬まで捨ててしまった少年時代。日大落語研究会で森田芳光の先輩として飲み歩いた日々。塚田茂に弟子入りし、預けられた「ドリフ」の毎週続く地獄の会議。
森繁久彌、三木のり平、青島幸男、渥美清、林家三平、永六輔、古今亭志ん朝、森田芳光、立川談志、三波伸介、景山民夫、大滝詠一、坂本九
番外編 脱線トリオ、クレイジーキャッツ、コント55号、ザ・ドリフターズ を収録。

第二章 「ビートたけしと笑芸の夜明け」
「浅草にすげぇ奴がいる!」という噂を聞きつけ足を運んだ浅草で出会ったビートたけし。その出会いから伝説の「オールナイトニッポン」まで。笑いの歴史を塗り替えた瞬間を、その横で「バウ、バウ!」と目の当たりにした著者がすべて語る。

第三章 「東京の笑芸私史」
東京の笑いの中心・有楽町日劇ホール。戦後の「笑い」から現在の東京の「笑い」への系譜を、場所と出来事・人を縦横に繋ぎ浮かび上がらせた、私的笑芸六十年史。

誰も書けなかった「笑芸論」 森繁久彌からビートたけしまで

第一章体験的・笑芸六〇年史 
森繁久彌
三木のり平
青島幸男
渥美清
林家三平
永六輔
古今亭志ん朝
森田芳光
立川談志
三波伸介
景山民夫
大滝詠一
坂本九

番外編
 脱線トリオ、クレイジーキャッツ、コント55号、ザ・ドリフターズ

第二章 ビートたけし誕生

第三章 東京の笑芸私史

【著者紹介】
1948年6月25日、東京都渋谷区生まれ。日本大学藝術学部放送学科卒業。放送作家の塚田茂に弟子入りし、「スタッフ東京」設立に参加。1973年、『ひらけ!ポンキッキ』で放送作家デビュー。その後、『笑ってポン!』『スターどっきり(秘)報告』『夜のヒットスタジオ』『オレたちひょうきん族』『三波伸介の凸凹大学校』などを手掛け、1981年放送開始の『ビートたけしのオールナイトニッポン』は社会現象ともなった。1983年立川談志の落語立川流Bコースに入門。その後、立川 藤志楼として真打に昇進した。1989年放送開始の『ラジオビバリー昼ズ』は現在も続く人気番組となっている。著書に『だから私は笑わせる』『民夫くんと文夫くん あのころ君はバカだった』(景山民夫氏との共著)『正しい団塊の世代白書』『ビートたけしの三国一の幸せ者』(ビートたけしとの共著)『笑芸日記 一九九六-二〇〇五』『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』『大衆芸能ざんまい 娯楽・極楽・お道楽』(1~4巻)『ニセ夫婦漫才 笑いひと筋23年  信頼のラジオビバリー昼ズ』など多数。そのほか『落語ファン倶楽部』の編集人も勤めるている。

内容説明

彼らはなぜ面白いのか!?全部、見たこと、出会った人。「笑い」と共に生きた六〇年、伝説のすべてを晒す「体験的笑芸論」。

目次

第1章 体験的「笑芸」六〇年史(森繁久彌;三木のり平;青島幸男;渥美清;林家三平;永六輔;古今亭志ん朝;森田芳光;立川談志;三波伸介;景山民夫;大瀧詠一;坂本九)
第2章 ビートたけし誕生
第3章 自伝的「東京笑芸論」

著者等紹介

高田文夫[タカダフミオ]
1948年6月25日、東京都渋谷区生まれ。日本大学藝術学部卒業。放送作家。『スターどっきりマル秘報告』『夜のヒットスタジオ』『オレたちひょうきん族』などのヒット番組を手がける。1981年放送開始の『ビートたけしのオールナイトニッポン』は社会現象ともなった。1983年、落語立川流Bコースに入門。立川藤志楼として真打に昇進。1989年放送開始の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』は現在も続く人気番組となっている。『落語ファン倶楽部』の編集人も担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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姉勤

33
落語で先生と云うと、”先に生まれた”やら”先ず生きてる”など随分な言い様だが、先生といえば教師の事より「高田センセイ」という固有名詞を思春期の頃より受け入れていた。叱られつつも観ていたひょうきん族のエンディングの”高田ギョロメ文夫”に、ビートたけしのANNのやりとりに薫陶を受けてしまった一人。弱年より同時代より前の世代に憧れる質は、嬉々として語っている時代を知ろうと思い、裏付けもなくマシンガントークに上る固有名詞を面白いものとして覚えてしまった。読者を選ぶ本書。軽さもいいが、「たっぷり」の声も掛けたい。2015/09/11

gtn

23
たけし、タモリ、さんまのビッグ3が登場するまでの「リトル3」として、「せんだみつお」「あのねのね」「ずうとるび」を挙げる著者。確かに子供の頃、この三組が番組を席巻していた。せんだの「歌謡ハラハラサンデー」のオープニング曲が頭に流れると、同級生の顔や小学校の風景がセットで思い出される。大物のことは、ほっといても誰かが書く。放置すれば人々の脳裏から消え去ってしまう者たちのことを、今のうちに書き残しておいてほしい。2019/11/21

fwhd8325

23
こよなく東京の演芸を愛してきた高田先生の、思い出話といった趣である。だんだん、こうして、演芸を語ってくれる方も少なくなってきて、高田先生には、養生しながら頑張っていただきたい。 今のように、情報が少なかった頃は、目利きのあるテレビ関係者や作家の方が、チャンスを与えて、世に出てきたんだ。てんぷくトリオ、コント55号が出始めた頃の微かな記憶を思い出しながら、いい時代だったんだとあらためて強く感じる。今の時代と比べることもないが、先代三平師匠も三波伸介さんの亡くなった年を越えてしまった今、ちょっと複雑でもある。2015/05/25

ぐうぐう

19
小林信彦の映画やお笑いに関する評論が、自身が実際に見聞きしたものしか語っていないのと同様に、高田文夫の『笑芸論』と名付けられたエッセイも、高田がリアルタイムに見聞きした芸人しか取り上げていない、その潔さが気持ちいい。でもだからこそ、彼が語る芸人は、みんながみんな、親しみを持って描かれている。大御所である森繁ですら、子供の頃、森繁の家が近くにあって、「オーイッ、社長いるかー」と声を掛けるいたずらをし、怒った森繁が追いかけてくるという、そんなエピソードを紹介しているのがいい。(つづく)2015/04/23

kokada_jnet

9
文夫先生の「体験」が、特に羨ましくも思えないねえ。そして、東映球団のエース土橋の紹介のところで、誇張した表現をみつけてしまうと。どこまでこの回顧録を信頼していいのかという気持ちになる。2015/05/04

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