内容説明
「考える」「思う」の主語は何か。「思われること」は、本当に「私に思われ」ているのか。「私」を「捏造」したデカルトは、すでにこの問いを封印していた。しかし、近代以降、この沈黙の事象に対する哲学者たちの悪戦苦闘が始まった。リヒテンベルクに始まりフォイエルバッハ‐ニーチェ‐フロイトへと続く第一の系譜。一方、フィヒテに分かれシェリング‐ビスマルクに流れる第二の系譜。「人」とも「言語」とも「普遍的なもの」とも呼ばれながら、究極“それ”としか名づけようのない何ものかを巡って、人間存在の不思議を考え抜いた思想家たちの系譜を辿る。
目次
第1章 エスの問題圏(フロイトとニーチェ;ニーチェの因果性批判 ほか)
第2章 エスの淵源を求めて(「神なる自然」とゲーテ;フィヒテの課題 ほか)
第3章 変貌するエス(「自然の精神化」と「自然の物質化」;ヘルムホルツからマッハへ ほか)
第4章 エスへの抵抗(カール・クラウス;抵抗するローゼンツヴァイク ほか)
著者等紹介
互盛央[タガイモリオ]
1972年、東京生まれ。1996年、東京大学教養学部教養学科卒業。2008年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。言語論・思想史。現在、出版社勤務。著書に『フェルディナン・ド・ソシュール―“言語学”の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社)がある。同書で「第22回和辻哲郎文化賞」「第27回渋沢・クローデル賞」を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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