目次
第1部 備中が生んだ希代の神童(藩主の留守を守り抜く;幕府の運営は庄屋仕立て ほか)
第2部 「誠」を貫く改革の炎(治国の大方針確立が先決;鷹山の大義を称える ほか)
第3部 分限を生き抜いた孤高の名臣(徳川政権は汚れ傷んだ古着;安政の大獄案に具申 ほか)
感想・レビュー
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ゆうゆう
7
幕末の時代に社長(藩主)になり代わり、会社を守った総務部長、なるほどな例えだ。藩の財政再建、質素倹約、藩札刷新、誠の道を行く人格者、もの申す部下でありつづけた山田方谷。ちょっと前に話題に出たので、気になっていた。備中松山の山田さんにお世話になった越後の長岡藩の河井継之助の恩義を返す。現代になっても誠実忠義を徹す、陽明学を通じて、素晴らしい関係があったと知った。2018/07/24
deerglove
1
地方の藩の大名は子会社の代表で、本社に出向して昇進することがある。幕末に活躍した大名はたいてい養子で平民成り上がりのスタッフを抜擢していることが多い。ほほー、東京都の行政職として揉まれてきた童門さんの手にかかると、まるで現代の話ですね、笑。それにしても岡山が高瀬舟の発祥だとか、東西ならぬ南北の道(川)を活用して栄えたとか、藩札を焼き払った話など、初めて知ることも多く、いろいろ参考になりました。2024/09/24
カラヤ3
1
江戸備前松山藩の財政改革に成功した山田方谷の事蹟を書いている。小説と思ってたのでめんくらった。2021/03/04
T Kashima
0
方谷は備中松山(現在の岡山県高粱市)の農民の子に生まれたが、勉学の甲斐あって松山藩の家老にまでなった人物である。また、幕末は不在の主君に代わって「人としての誠を貫く」という一貫した姿勢で周囲の信頼を得ながら藩の切り盛りを行った。ご両親による学問と教養、公共精神を家訓にちりばめた教育方針に感銘を受けました。あと、幕末の幕府運営の難しさも良く伝わりました。2018/03/29