内容説明
滅亡は私たちだけの運命ではない。生存するすべてのものにある。滅亡の真の意味は、それが全的滅亡であることにある。戦後文学の巨人、『司馬遷―史記の世界』の著者・武田泰淳の全体像に迫る精選随筆集。代表的エッセイ「滅亡について」をはじめとし、武田文学に思想的重量感をもたらすことになった中国での戦争体験、敗戦の騒然たる体験へのあくなき思索、同時代文学と自作への問いかけ、自伝等、二十八篇を収録。
目次
僧侶の父―ほんとうの教育者はと問われて
禁欲の青春
わが思索わが風土
武田泰淳、戦地からの手紙―一九三七‐一九三九竹内好・松枝茂夫宛
杭州の春のこと
支那文化に関する手紙
支那で考えたこと
滅亡について
無感覚なボタン―帝銀事件について
諸行無常のはなし〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chanvesa
22
「すべてのものは、変化する。おたがいに関係しあって変化する。」という諸行無常の定義(32頁)は、「滅亡について」「司馬遷『史記』」にも通じている。前者は再生への信仰が満ちており、暴力的な方法であっても変化がもたらされることに、救いを見いだそうとしている。後者は司馬遷の歴史感を通じ、さらに宇宙規模まで拡大される。安吾の「日本文化私観」のラディカルなタフさともちと違う。でも破滅を目の当たりにした人間の強さを感じる。「三島由紀夫氏の死ののちに」で自身を「やかましくない屋」と言うが、スケールのデカさの証明である。2015/06/01
moyin
10
『富士』のほうは途中で挫折したけど、この一冊はなんとか読み切った。戦場日記など、中国の読者としてはやはり辛い。一番心に残るのは「無感覚なボタン」と「三島由紀夫氏の死ののちに」。 2021/08/12
Mandragoremi
1
★★★☆2019/10/24
yunomi
1
所収のエッセイ「滅亡について」を読めば、著者が抱く徹底したアンチヒューマニズムの一端が理解できる。たかだか一民族が滅してしまったところで、世界の創造主の視点から見れば、それは新たに進化した生物を作り出す為の浄化作用に過ぎないのであり、そこに悲劇性を見出す事は単なる人間中心主義の所作に過ぎない、と著者は言う。そこから安易なヒューマニズムを乗り越える手掛かりを、著者は中国史に求めるのだが、現在の中国も日本と同じく、愚劣なヒューマニズムに基づいたナショナリズムに陥っている事を悲劇と言うべきだろうか。2013/03/01
euthanasia
0
晩年の小文『山麓のお正月』が特に素晴らしいように思われた。武田百合子と幼い娘の日記をパッチワークのように引用しながら組み合わせることで家族三人のそれぞれ異なったパースペクティブと文体がコンフリクトを起こしながら同居する。そのことによって富士の麓で営まれる生活空間のようなものがダイナミックに立ち上がってくる。2016/01/15