内容説明
短歌、俳句、演劇…さまざまなジャンルで煌めく才能を発揮し、四十七歳で逝った寺山修司の詩的感性が横溢するエッセイ集。偏愛したボルヘス、夢野久作、フェリーニ等についての洞察、自叙伝、芝居、競馬等のエッセイを収録。
目次
1 私という謎(黙示録のスペイン―ロルカ;父親の不在―ボルヘス;鏡―ダリ ほか)
2 旅役者の記録(旅役者の記録;女形の毛深さ;サーカス ほか)
3 自伝抄(汽笛;羊水;嘔吐 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ちどり
26
「鏡には、堕落への魅惑がひそんでいる」←自分の知ってる詩を作る寺山修司の姿や「江戸川乱歩の小説は、どうやら老童貞のエロチシズムといった趣きをもっているが、……」「『ガリヴァ―旅行記』や『書物合戦』などを書いた大ぼら吹きのスウィフト……」←とドキリとするような発言をする寺山修司だが“自分を語っているようでいて生まの形では語らない”自分自身を隠す人間だったのかもしれない… 2017/04/24
ハチアカデミー
14
寺山はいまだって新しい。私に拘りつづけた日本文学にあって、如何に己から飛躍できるかを目指した彼の作品群は異彩を放つ。彼が好んだ作家を取り上げたエッセイ、旅にまつわるもの、そして嘘と作為まみれの自伝からなる本書は、寺山修司の本質(なのか実存なのか)がよくわかる。捨てられた鰐に注目するピンチョン「V」評が印象に残るが、それ以上に本当のことと嘘が入り交じる、己の「母」への思いを描く三章がおもしろい。嘘を語っても、そこに描かれるイメージや願望は実際に寺山が抱いたものであり、そうなると本当と嘘の境が溶けていく。2013/10/14
あなた
13
わたしたちは、なにかを「いわない」ために、そのことを「いいつづける」のだということをよく知っている。おそらく「私」とは、そのはざかいにある「引き裂かれ」のことだろう。「書も捨てず、街へも出られず」『家出のすすめ』を書きながら、結局「イエ」を出ることさえ、かなわなかった。否定というのは最高の肯定の形態なのである。「『家出のすすめ』を書いてるんだよ」「ああ、あたしも賛成だよ。家出するなら、母さんも一緒に行ってあげるからね」2009/09/11
六波羅
11
寺山修司と言えば、演劇、映画製作、エッセイ、俳句、短歌、詩などマルチな活動で現在も後進に影響を与え続けている人物だ。その活動のなかで、僕の注目する寺山修司のキーワードは「競馬」「母親」の2つ。「競馬」は昨今の風潮からすれば浪花節全開なので好き嫌いあると思うが、逃げ馬(脚質が逃げの競走馬)と逃亡を続ける人物を重ね合わせる手法は見事だと思う。次に「母親」寺山修司が過去を改竄して作り上げた、虚構の母親。母恋しや母憎しの俳句や短歌。僕はそれらを読むと正直嫌な気分になる。絶縁して久しい母親を思い出すからだ。2014/10/19
あくび虫
3
確かにエッセイなのですが、なんとなくエッセイではない。一冊の哲学書のようであり、小宇宙で、虚構。通底する思想を感じながら読んでいると、「これはいったい何が事実なんだろう…?」と迷宮に入り込んでいく気分になります。それくらい絵的でドラマティックさがあります。2018/07/27