内容説明
脳軟化症の妻は“私”を認識できない。―何度目かに「御主人ですよ」と言われたとき、「そうかもしれない」と低いが、はっきりした声でいった。50年余連れ添った老夫婦の終焉近い困窮の日常生活。その哀感極まり浄福感充ちる生命の闘いを簡明に描く所謂“命終三部作”ほか、読売文学賞受賞「一条の光」、平林賞「この世に招かれてきた客」など耕治人の清澄の頂点六篇。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
35
なんと悲しい作品集だろう。淡々と描かれる老いの悲しさは例えばアンプラグドで演奏されるブルースにも似ていて、それが逆にこちらの胸を打つ。好みの路線の作家ではないのだけれど、これから訪れる私自身の老いや私の両親の死を思うと容易に読み飛ばせない。こうした老人文学はもっと評価されて良いのではないだろうか。これから高齢者社会が訪れるのだから、いつまでもフレッシュな若者の作品ばかりを読むわけにもいくまい。講談社文芸文庫のセレクト/チョイスのセンスが光る一冊であり、この文庫/出版社の良心が伺える一冊であるように思われる2019/01/11
りー
20
これだ、僕が欲しかったものは。2016/01/14
メタボン
15
☆☆☆☆ 一条の光、命終三部作は再読。千家元麿との交流を題材とした「詩人に死が訪れるとき」「この世に招かれてきた客」は初読。決して美文ではないものの枯れた味わいがある。2015/10/02
きっち
9
著者の代表作6編を収録。やはり、のちに“命終三部作”と呼ばれることになる「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」の3作が凄い。不遜な言い方になるが、耕治人という不器用な作家は、この3作を書くためだけに生まれて来たのではないかとさえ思う。かんたんに言えば老々介護の話なのだが、たんなる苦労話ではない。全編を優しい光が包み込んでおり、読みながら、なんだこれは、と思う。文学の奇跡のようなものに出会っているのだな、と感じる。小説は、時として、とんでもない高みにまで読者をつれていく。2019/05/18
ハチアカデミー
9
C+ 掃いても掃いても出てくるホコリに己の生涯を見いだすという奇跡! 人生への諦念や後悔がにじみ出つつも、それを殊更に描くのではなく、淡々と、時には僅かな幸福も織り交ぜて描く独特の作風である。ゴミに光が射し込む「一条の光」は、梶井「檸檬」並の名短編(迷の気もあり)。妻が老人ホーム、夫である主人公が入院中という「そうかもしれない」の強すぎない哀愁も良い。私小説でありながら、私が出しゃばらない、不思議な短編の数々を堪能できた。年を重ねるごとに、読み方が変わる作家でもあろう。他の作品も気になる。2013/02/15
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