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内容説明
文久2年(1862)7月の幕政改革により将軍後見職となった一橋慶喜は、混乱をきわめる内外政策の立て直しに着手した。だが、倒幕をねらう過激派の志士たちの活動はますます活発となり、相次いで来航する外国船の不穏な空気が、不安定な政情に一層の拍車をかけていく。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どぶねずみ
30
ようやく3分の2まで読み終えたところだけど、読み慣れない用語が増えてきて時間かかった。慶喜様には弟がたくさんいたけれど、ここでの弟は昭武ではなく昭訓という慶喜様を頼りにしている弟が登場する。島津久光との水面下での戦い、その出しにされて思い悩む弟。大変な弟想いで不利にならない選択をした慶喜様は、目先のことだけでなく、もっと先を見据えた考えができる頭脳派。残されている史実はきっと慶喜様が最善を尽くした結果なのだろう。2021/09/04
Hiroshi Takeshita
1
原爆を落とされて、敗戦をする。その事を一つの終わりと見るならば、この本で描かれているのは、その終わりの始まりなのである。この時の尊皇を騙った我欲の追求が、その後の日本を支配する。維新を語るに、志士サイドから見て、幕府を敵と見た作品は多い。が、逆を丁寧に追ってゆくと、物事がはっきりと見えてゆく。志士なぞは所詮チンピラの集まりに過ぎないのだ。チンピラのチンピラたる所以は我欲である。天下国家を鑑みる時代から、我欲の時代へ。この流れが為政者も又という。幕府の生き残りに立派な人が多いのが、とても皮肉だ。2025/06/25
Wadachan
1
これまで知っていた薩摩・長州側から見えていた景色が、慶喜側から見てみると違うものが見えてきた気がする。2021/08/23
Arata Matsui
1
1人の人間を育てるのに何十年もかかるのに、簡単に斬ってしまって良いはずがない。この言葉がもっと意味をもっていれば、有能な志士が維新後にも活躍したんだろうな~。何事も極論は良くない、常に大局的な見方をし続けた慶喜の忍耐力を今の政治家に見せたい。2012/05/23
2000
0
山岡先生の考える大和魂及び、国体の護持、及び朝廷の役割のお考えをかなり述べられておりました。天皇は太陽のように民を照らすものであり、そこに敵味方の区別など無い。したがって、天皇の敵というものもいない。なるほど。山岡先生は大久保利通が嫌いらしい。徳川慶喜で検索すると、渋沢栄一の書いた徳川慶喜伝があるらしく、これもそのうち読んでみるか……2024/07/06