内容説明
承和の第十七次遣唐使は、二度の渡航失敗、副使の乗船拒否という前代未聞の事態にも拘らず、政府が派遣を強行、莫大な犠牲を出した。九世紀、連年の飢饉と疫病で疲弊した律令国家は、唐に何を求めようとしたのか。『続日本後紀』や、随行した僧円仁の『入唐求法巡礼行記』を丹念に読み込み、遣唐大使・副使、政府、僧侶、それぞれの思惑が絡んだ、最後の使節団の苦難の旅路に迫る。
目次
序章 小野篁の渡航拒否
第1章 承和の遣唐使
第2章 海を渡った遣唐使
第3章 唐における遣唐使
第4章 九世紀の東アジアと遣唐使
終章 遣唐使の終焉
著者等紹介
佐伯有清[サエキアリキヨ]
1925年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院国史学専攻修了。文学博士。専攻は日本古代史。北海道大学教授・成城大学教授を歴任。2005年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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紫草
12
結果的に最後となった承和の遣唐使。請益生として随行した円仁が「入唐求法巡礼行記」という詳しい記録を残してくれていて、正史「続日本後紀」だけではわからない詳細で生々しい様子がわかる。(エンジンのない)帆だけの船で外海を渡るというのは大変なんですね。ちょっとの風や波が大きな影響を与えるらしく、4隻の船で一緒に出発してもばらばらの場所に到着したり、遭難したり。流されて変な場所に上陸しちゃうと、その地の役人探すの大変。そして中国は広い!ようやく陸地にたどり着いてから長安まで2ヶ月近くも。上陸しても一苦労。2022/11/29
isao_key
3
寛平6(894)年8月菅原道真によって遣唐使の派遣について再検討すべきとの意見が出され、同年9月に18回に及ぶ遣唐使は中止となった。本書では遣唐使が廃止となった理由について資料から探る。まずひとつには、従来1ヶ月かかっていた航路を、短い日数で唐に渡るために遭難が増したこと。もうひとつは、人数と荷物の増加により、船体が大型化し危険が増したこと。さらには、莫大な費用をかけて渡航しなくても、渡来人や新羅人から東アジアの最新の情報が手に入ったことがあった。この時期に遣唐使を廃止したのは実に賢明な選択であった。2012/07/06
Ucchy
1
菅原道真が廃止する前に派遣された最後の遣唐使の派遣決定から渡海、唐での足取りや時代背景を詳述。当時既に民間の船で大陸の文物は入手できるようになっており遣唐使は不要なのに金がかかる国家プロジェクトになってしまっていた。それなのに派遣を強行したのは衰退する律令国家を「鎮護国家」で守ろうとする意図、また僧侶の宗勢拡大の意図があった。小野篁の乗船拒否は無益な政策への抗議だった。航海の苦労を読むと遣唐使は大冒険だったんだなと思った。西暦800年代のことが一日単位で記録が残っているのが凄いなと思った。2017/11/23
プリン
1
最後の遣唐使派遣となった「承和の遣唐使」の歩みをたどった著作。円仁の『入唐求法巡礼行記』を活用しており、いよいよライシャワー氏の著作をじっくりと読まねばならぬという思いに駆られました。あと、東野治之氏の『遣唐使』も再読しないと。宿題が増えました。2010/04/21
山河
0
図書館で気になり借りた1冊。小野篁の人格者を再認識。遣唐使を蹴ったことを中心に書かれているが、嵯峨天皇や空海と同時代に生きており、嵯峨天皇や最澄とは交流あり。小野小町は孫にあたる。2020/11/24