内容説明
一九六〇年代初頭、ケネディ政権下に異色の駐日大使が誕生した。その名はライシャワー。東京生まれの日本育ちで、米国きっての知日家として知られ、ハーヴァード大学教授であった彼に、この時から外交官という新たな顔が加わった。沖縄返還、ケネデイ暗殺、ベトナム戦争等、内外に緊張が高まりゆくなか、「学者大使」が五年余の苦闘を綴った滞日記録。
目次
一九六一年「学者大使」誕生す
一九六二年「人生の目的を見つけた」日々
一九六三年高揚の果ての「ケネディの死」
一九六四年刺傷事件を乗り越えて
一九六五年ベトナム戦争の暗雲
一九六六年惜しまれての辞任
著者等紹介
ライシャワー,エドウィン・O.[ライシャワー,エドウィンO.][Reischauer,Edwin Oldfather]
1910~1990。アメリカの東洋学者。外交官。東京に生まれ、16歳まで在日。ハーヴァード大学大学院修了。1950年ハーヴァード大学教授。1961~66年駐日大使。のちハーヴァード大学に復職し、81年退職
ライシャワー,ハル[ライシャワー,ハル][Reischauer,Haru]
1915~1998。明治の元勲松方正義公爵の孫。アメリカ、イリノイ州のプリンシピア大学卒業。1956年エドウィンと結婚
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感想・レビュー
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紙狸
15
単行本1995年、文庫2003年刊行。1961ー66年、駐日米大使を務めたエドウィン・O・ライシャワー氏による家族への手紙、備忘録を編集した。60年安保による反米ナショナリズムが高揚した後の時期にあたる。ライシャワー氏は元々日本語ができる歴史学者で、夫人は元勲松方正義の孫のハルさん。夫婦そろって日本人との対話に努めた。ロバート・ケネディ司法長官が62年、早稲田大を訪問し、左翼学生との問答に応じたエピソードが興味深い。ロバート・ケネディは度胸があった。一般国民は親米的だったが、インテリは左傾化していた。2025/03/13
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