講談社学術文庫<br> 信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学

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信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 320p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061595781
  • NDC分類 210.47
  • Cコード C0121

内容説明

織田信長は“軍事的天才”だったのか?桶狭間の奇襲戦、秀吉による墨俣一夜城築城、長篠合戦の鉄砲三千挺・三段撃ち。これまで常識とされてきたこれらの“史実”は、後世になって作られたものだった―。信長研究の基本にして最良の史料である『信長公記』の精読によって、信長神話と戦国合戦の虚像、それらを作りあげた意外な真実に迫る意欲作。

目次

序章 太田牛一と『信長公記』
第1章 桶狭間合戦―迂回・奇襲作戦の虚実
第2章 美濃攻め―墨俣一夜城は実在したか
第3章 姉川合戦―誰が主力決戦を望んだのか
第4章 長嶋一揆攻め―合戦のルール
第5章 長篠合戦―鉄砲新戦術への挑戦
第6章 石山本願寺攻め―「鉄甲船」建造の舞台裏
終章 本能寺の変―謀叛への底流

著者等紹介

藤本正行[フジモトマサユキ]
1948年生まれ。慶応義塾大学文学部史学科卒業。千葉大学、東京都立大学の非常勤講師を歴任。(株)彩陽代表取締役。専攻は日本軍事史、風俗史。軍事・武具・絵画・城郭等の研究にもとづく独自の歴史研究を展開する
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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i-miya

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2013.05.14(初著者・初読)藤本正行著。 2013.05.14 (副題=「信長公記」に見る戦争軍事学) (カバー) 信長は、<軍事的天才>? 桶狭間の合戦、秀吉の墨俣城一夜城、長篠の鉄砲三千丁、三段撃ち、これらの“史実”は、後から作った神話である。 戦国合戦。 (藤本正行) 1948、慶應義塾大学卒。2013/05/14

i-miya

39
2013.05.20(つづき)藤本正行著。副題-『信長公記』に見る戦国軍事学 2013.05.17 事実はどうだったのか?奇襲攻撃はどの部分? 信長に奇襲の意図はなかった。 織田は終始今川から丸見えの場所で行動している。 初めから奇襲などする気はなかった。 運が良かったのである。 信長の軍事的天才の証明にはならない。 簗田正綱という土豪を使って今川の情報を掴み奇襲を成功させた? 2013/05/20

i-miya

38
2013.05.21(つづき)藤本正行著。 2013.05.20 「軍事学」は必要。 序章、太田牛一と『信長公記』。 1.信長を描いた男。 ◎ある武士の軌跡。 大永七年(1527)生まれ。 7歳、信長の上。 愛知県名古屋市北区内(春日井郡山田庄安食)、常観寺にいて、後、還俗したという。 柴田勝家の足軽衆の一人。 のち、丹羽長秀の与力となる。 第一線の戦闘員。 1582年、信長の死後、一時、加賀の松任に隠棲、のち、秀吉に仕え、検地、検地奉行など。 2013/05/21

i-miya

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2013.06.02(つづき)藤本正行著。 2013.05.29 ◎悪貨は良貨を駆逐する。 3.軍事資料としての『信長公記』-戦闘詳報に近い内容を含む。 文学作品ともいえる。 (後世の味も素っ気もないものとは違う) 悪貨とはすなわち小瀬甫庵(1564永禄七年-1640) 信長が死んだ天正10(1582)年には、19歳、尾張出身、豊臣秀次、堀尾吉晴、前田利常に仕える。 牛一の『信長公記』を下敷きに自由に筆を走らせ『甫庵信長記』を書いた。 2013/06/02

i-miya

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2013.05.24(つづき)藤本正行著。 2013.05.22 (序章、太田牛一、つづき) ◎『信長公記』の構成。 (1)父、信秀の活躍 ア.尾張の状況。 イ.永禄11(1568)信長が将軍義昭を奉じ上洛するまで(「首巻」と呼ばれる)。 (2)上洛から本能寺まで(15年間)(「十五帖」)。 (1)うつけ。 仏前の抹香投げつけ事件(父、信秀の葬儀で)。 桶狭間の戦い(1560)。 上洛(1568)。 2013/05/24

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