内容説明
ソクラテスを中心に、二人のアテネ市民とその息子たち、ラケスとニキアスという高名な二人の将軍たちのあいだで「勇気とは何か」を主題に展開される対話。息子たちの教育法にはじまる議論が、ソクラテス一流の誘導により、ソクラテス自身を含めた一同の「勇気」に対する無知の確認に導かれる。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
cockroach's garten
29
評価に困る作品だ。しかし、手軽に読めるという点は大きい。勇気とは何かを問い詰めようとしたら、結局煮え切らない形で終幕する。解題がこの難解さに助け舟を出してくれるのでありがたい。そこには、文学作品として見るか、隠された哲学的要素を探し出すかという見方が掛かれている。幸いにも平易に読めるので探し出すという選択は骨折りな作業ではなさそうだ。『テアイテトス』と同じく目的を見るのではなく、探り出す手段を見ていく作品だと思った。2017/06/09
記憶喪失した男
8
勇気についての対話編だが、わたしには納得のいかない対話編である。ラケスの述べる勇気の定義にソクラテスが反論する。だが、わたしにはソクラテスの反論が勇気を的確に指摘しているとは思えなかった。しかし、これより後に書かれた「プロタゴラス」ではソクラテスの勇気についての主張が変わっているので、プラトンは勇気については多いに迷いがあったようだ。わたしには結局、勇気とは何かよくわからない。2018/02/02
猫丸
7
勇気論。定義を求めつつカテゴリーの混乱を誘発し、語られた文脈から強引に引き離す。例示による解答は認めないが、自身の論述には「ライオンの勇気」などの逸脱を辞さない。純粋概念の話をしているのに、盲目的勇気、思慮を欠く勇気、等の複合概念を密輸して相手の語っていない領域に連れ出す。あらゆる脱法的手法を混ぜ込んでくるソクラテスに翻弄されない人があろうか? 哲学探究において対話が有効な手段たりうることは疑えないが、話題が散乱する様を見ると、なんだかなあ…の念が。密室での孤独な思索からも世界思想を紡ぐことは可能と思う。2018/09/14
samandabadra
6
勇気とは何だろうか。解説の中で出てくる『プロタゴラス』の中でも徳の中の一部として語られているが、場合によって、勇気と無謀はおそらく表裏一体なのではないだろうか。言いたいのは、評価のことばは時と場合によって、一つの行動について別の判断を与えることがあり、勇気といった場合、そういう行動に肯定的判断を与えているよというメッセージを伝えているだけに過ぎないような気がするということである。突き詰めよ、と言われるかもしれないが、ことばは水の上に浮かんだ木のようにゆらゆら揺れ動くようでとらえどころがないのだろうなと思う2021/05/22
未クソ社会学徒
6
ソクラテスの前期著作群を読むと必ずこうなるのだが、議論が色々な方向へ蛇行していき、読了した時には頭がクラクラする。勇気を主題にした今回も、各登場人物の見解がソクラテスによって吟味かつ批判され、結論は出ないまま話が終わる。2019/08/16