内容説明
古来、心に残る名文句は、特異な表現である場合が多い。思考において論理がすべてではなく、言語も文法だけでは律しきれない。論理と文法の手にあまる言語表現の多彩な機能―黙説、転喩、逆説、反語、暗示など、レトリックのさまざまを具体例によって検討し、独創的な思考のための言語メカニズムの可能性を探る。在来の西欧的レトリック理論の新しい光をあてた『レトリック感覚』に続く注目の書。
目次
はじめに 認識のかたちとしてのレトリックの〈あや〉
第1章 黙説あるいは中断
第2章 ためらい
第3章 転喩あるいは側写
第4章 対比
第5章 対義結合と逆説
第6章 諷喩
第7章 反語
第8章 暗示引用
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヘラジカ
21
『レトリック感覚』に次ぐ相変わらずの名著。続編であり応用編でもあり、独立した著作としても読むことが出来るから、差し詰め姉妹編といった感じだろうか。レトリックとは、各言語のコードに縛られにくい普遍的な技術である。それと同時に、全ての言語に通底する問題や構造を解き明かす為に必要な資料でもあるのだ。この本ではそういったレトリックが有する命題に踏み込みつつも、実用的な技術としてのレトリックの用法とその効果までをほぼ過不足なく解説している。しかし、この本の題名からも分かるように、重点を置いているのは勿論前者である。2014/02/24
かば
17
前作『レトリック感覚』で見られたようなかっちりとした論理の整理は見られなかったが、隠喩の連続としての諷諭が果たす役割であったり、文法という我々が内部に抱える制度に対峙する意味でのレトリックの立ち位置など、気づかされることは多い。2018/10/03
ヨッフム
16
前作『レトリック感覚』に引き続き、古典文学の例から伝統レトリックの用法を解説。言語の隙間に潜んでいる、「発信者と受信者の想像力の綱引き」とも呼べるような、活き活きとした解釈に富む動的な文章、著者の言う「発見的認識」としてのレトリックを、ただの便利で使い勝手の良い技術としてのレトリックを超えて、人間が言語を操る上で絶対的に意識してなければいけない普遍の思想として、紹介しています。他者がいなければ、言葉は発展しない、それは、言葉の構造そのものが他者(的)であるから、という言語感覚を大幅に昂進される本でした。2015/04/14
Nobu A
13
佐藤信夫著書2冊目。前巻同様、本書もかなり褪色し黄ばみ歴史を感じる。でもそれ程古くなく83年刊行。次巻と言う表示ではなく「レトリック感覚/認識」と言う表題にしている点が憎い。さすが修辞法の本。本書は前書から黙説、ためらい、転喩、対比、対義結合と逆説、諷喩、反語、暗示引用と続く。ただ、ここまで来るとかなり技術的になってくる。例えば、ためらいなんか今で言う緩衝表現も含むのではと感じる。また文中に母言語と出てくる。母語や母国語は聞いたことがあるが、初めて出合った表現。もっと早く読めば良かった。後半流し読み読了。2024/11/27
黒澤ペンギン
13
『レトリック感覚』はたまに読み返していたが、こちらはあまり読んでいなかった。が、読み返して見るとやはり面白い。 転喩の〈相を転じて見ること〉は、それぞれが見ている相は同じではなく、見ている相を調べることでその人への理解を深められるかもしれない。また、自分が見ている相が事実ではない、別の相もあるということの自覚は自己を客観視する際に有効だと感じた。2023/09/24