内容説明
本書は〈他者〉あるいは〈外部〉に関する探究である。著者自身を含むこれまでの思考に対する「態度の変更」を意味すると同時に、知の領域に転回をせまる意欲作。
目次
第1章 他者とはなにか
第2章 話す主体
第3章 命がけの飛躍
第4章 世界の境界
第5章 他者と分裂病
第6章 売る立場
第7章 蓄積と信用―他者からの逃走
第8章 教えることと語ること
第9章 家族的類似性
第10章 キルケゴールとウィトゲンシュタイン
第11章 無限としての他者
第12章 対話とイロニー
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
38
以前読んだときに、もっと一文一文こだわって読み、フッサールだ、デカルトだとその都度詰まっていたものです。コミュニケーションの重要性を突き詰めると、その不可能性から思考せざるを得ない。ウィトゲンシュタインの『哲学探究』の前半にある石工の親方と弟子の喩えから引いてきています。なぜコミュニケーションが重要かというと、誰もが知っている積極的な一律の効用よりも、偶発性によって生み出される剰余に創造性をみているからです。そこで、マルクスの商品交換とその剰余(贈与)が出てくる。重要人物はこの二人だけです。尚、著者はウィ2020/12/30
踊る猫
37
柄谷行人を読むと、確かに何かつかめたような気持ちになる。でも、それははかなく終わる。たぶん柄谷行人は(坂口安吾やウィトゲンシュタインと同じで)「考えるヒント」を出す性格を保持しているのだろう。彼の思考が忠実にヴィヴィッドにトレースされたこの本を読むとそうした「ヒント」をつかめて、たしかに何かを得られたように思える。だが、それは「ヒント」にすぎない。そこから単独者として何か自分の哲学なり文学なりを始める存在は他でもない、柄谷のテクストを読んでしまった自分なのだ。その主体性を再確認して読んでこそ味が出る1冊だ2023/09/06
踊る猫
31
ウィトゲンシュタインをこれまで(わかるわけがないにせよ)読み進めてきた1人の読者として、ここで開陳される柄谷の読みを興味深く受け取る。柄谷はここで、言葉を介してぼくたちが行っているコミュニケーションを自壊する地点まで煮詰めて「人はたんに喋っている」「そこから事後的に意味が見出される」と説いているように映る。そうしたコミュニケーションの「交通」の奇跡・偶発性とは、しかし言ってみれば「あたりまえ」なものだ。そんなこと考えなくても生きていける……だが、柄谷もウィトゲンシュタインと同じくそこでつまづく人物のようだ2024/06/01
踊る猫
31
ずっと柄谷行人を誤解していたのかもしれない。カントの「物自体」という、私たちの認識しえない存在を作り出して整理する思考を批判して「他者がいない」と語るところにショックを受けた。「神」や「他者」といった人知を超えた存在を「それはそれとして」「そういうのがある」と片づけるのではなく、具体的な手触りを確かめようとする。だからコミュニケーションにこだわる。「ウィトゲンシュタインはいいこと言ってるな……」という軽いエッセイとして書き始められたはずの『探究』が、かくも繰り広げられて「論考」になるとは。実にスリリングだ2020/06/29
逆丸カツハ
27
うーん、アナーキー。読み返すと自分で書いた本ともつながってるところもあるなぁと思った。2025/04/19
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- 和書
- 蚤と爆弾 文春文庫