講談社現代新書<br> カーニヴァル化する社会

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講談社現代新書
カーニヴァル化する社会

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  • サイズ 新書判/ページ数 174p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784061497887
  • NDC分類 361.04
  • Cコード C0236

出版社内容情報

ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…
ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」

「日常の祝祭化」の中を生きる
私たちの生きる社会は、上述してきたような「祭り」を駆動原理にし始めているのではないか、と私は考えている。本書では、そうした祭りのメカニズムについて、様々な事例に分け入りながら明らかにしていきたい。祭りといっても、季節とともに訪れる、伝統的な祝祭のことではない。21世紀に入って以降の我が国で、そしておそらく欧米では20世紀の終わり頃から顕在化し始めた、日常生活の中に突如として訪れる、歴史も本質的な理由も欠いた、ある種、度を過ぎた祝祭について、それはいったい何なのか、なぜ今になってそうした祭りが頻発するのか、といった問題を、様々な角度から論じたのが、この本である。結論を先取りして述べることになるが、私が本書で論じる「日常の祝祭化」は、近代化と、そしてその徹底として生じる「後期近代」に特有な現象として説明することのできるものだ。また、そうした「日常の祝祭化」の中を生きる私たちのライフスタイルも、これまで近代のシステムが前提にしてきた、確固たる自己像とはまったく異なった種類の自己モデルを要請し始めている。本書で取り扱うのは、こうした、日常に祝祭がビルトインされることによって可能になる、社会や自己の仕組みや、その要因についてなのだ。――<本書より>

第1章 「やりたいこと」しかしたくない――液状化する労働観
 1.フリーターやニートだけが問題なのか
 2.「やりたいこと」という貧困
 3.ハイ・テンションな自己啓発
第2章 ずっと自分を見張っていたい――情報社会における監視
 1.「監視国家」か「監視社会」か
 2.データが監視されるということ
 3.データベースとの往復運動
第3章 「圏外」を逃れて――自分中毒としての携帯電話
 1.携帯電話と再帰的近代
 2.「自己への嗜癖」とデータベース
終章 カーニヴァル化するモダニティ
 1.カーニヴァル化と再帰性
 2.革命か、宿命か――カーニヴァルの時代を生きる


鈴木 謙介[スズキ ケンスケ]
著・文・その他

内容説明

分断される自己イメージ、データベース化する人間関係…ネット世代の論客が解き明かす「僕たちの日常」。「ニート論議」「監視社会論議」の本質も明らかに。

目次

第1章 「やりたいこと」しかしたくない―液状化する労働観(フリーターやニートだけが問題なのか;「やりたいこと」という貧困;ハイ・テンションな自己啓発)
第2章 ずっと自分を見張っていたい―情報社会における監視(「監視国家」か「監視社会」か;データが監視されるということ;データベースとの往復運動)
第3章 「圏外」を逃れて―自分中毒としての携帯電話(携帯電話と再帰的近代;「自己への嗜癖」とデータベース)
終章 カーニヴァル化するモダニティ(カーニヴァル化と再帰性;革命か、宿命か―カーニヴァルの時代を生きる)

著者等紹介

鈴木謙介[スズキケンスケ]
1976年生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・助手。首都大学東京非常勤講師。専攻は理論社会学。インターネット社会の最先端の事例と、政治哲学の理論的研究を架橋させながら、独自の情報社会論を展開している
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

けんとまん1007

26
なかなか面白い視点だなと思う。「熱しやすく覚めやすい日本人」という言葉が浮かんできたが、それとシンクロさせながら考えてみると、なるほどねえと思える点も多々ある。いろんなことがイベント化し、短期的で一過性、そんな動き方・考え方をする人たち(部分)も増えてきていると思う。生産するのではなく消費すること、自分の嗜好性よりも前にあるのが、世の中で売れているもの・持っているものという傾向。正直、消化不良ではあるが、面白い部分がある。2014/10/13

白義

17
伝統的に文学がしてきた仕事が最近ますます社会学にとってかわられてる、と実感する本。ネット上のお祭りに労働問題、監視、携帯という一見全く異なる問題を、軸を失った個の終わりなき自己言及と自己確認スパイラルをキーに繋げ、後期近代という今の社会の輪郭を写している。再帰的近代、反省的視点の消失、という言葉を効いてある程度のイメージが湧くくらいの事前知識があったほうが楽だけど、説明は丁寧だからあまり気にする必要はない。感動やネタコミュニケーションの自己目的化ときいてピンとくる人、自分がそうしてる人はよくわかるはず2011/10/05

なつきネコ

15
一章の雇用形体のあり方と若者は納得し、当事者としては共感できてしまう。労働が流動的になり、自己意識と仕事の間に苦悩する。もうバブルの夢は見れないのに、観念と社会観に変化はない。もう、労働は現状を維持させ、それ以外に自己意識と幸福感を満足させるしかなく。ある種、それがカーニヴァル化していく潮流の一つな気がする。それに携帯やネットが乗っかっていく。そもそも、経済はカーニヴァルのような物、だから、祭りが終われば寂れる、嫌なら、祭りを続けてるだけ。祭りに依存する社会はうまくわけがなく、経済は破綻するのは自明の理2016/07/30

リップ

15
新書はあまり読み慣れていないので難しい…。私が読み取れた大枠としては、雇用形態など周囲の環境が変わるにつれて、若者の考え方の根本が「将来」から「現在」に変わっているということ。終身雇用や自営業を継ぐなどの社会的に将来を保証してくれる制度が崩壊して行っている中で、今が楽しければ良いという風潮が起こっている。今までの主我と客我によるアイデンティティ創生の仕組みから外れた、言わば主我と客我が切り離された状態の若者が、アイデンティティの支えを失うことで自己の無い「やりたいこと」や「夢」に縋り付いてしまうのである。2014/10/30

あいくん

14
☆☆☆☆鈴木謙介さんの2005年の著書です。講談社現代新書です。この本を書いたときに鈴木謙介さんは29歳です。鈴木さんの世代の若者たちは就職氷河期で正社員になれませんでした。企業が新卒採用を抑制して、コストの安いパートや派遣社員を増やしたために、フリーターが増加しました。働く意志がないニートも増加しました。働かない若者が親にたかるというのは社会問題です。かつては、地方の若者が東京に出てきて、夢を追って、叶わなかったら、地元に帰るという選択肢がありました。2019/11/27

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