内容説明
絶対平和を願う広島と、絶対悪に立ち向かう責任を問うホロコーストの違いとは何か。なぜ反戦思想が生まれ、一方で、なぜいまナショナリズムが台頭するのか。戦争を語ることの本質を、真摯に問い直す。
目次
第1章 二つの博物館―広島とホロコースト
第2章 歴史と記憶の間
第3章 正しい戦争―アメリカ社会と戦争
第4章 日本の反戦
第5章 国民の物語
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- 評価
京都と医療と人権の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nnpusnsn1945
37
広島とホロコーストはどちらも平和を願ってはいるが、自衛のための戦争を認めるか否かの差が存在している。一口に平和と言えども多様なものである。シンガポールには日本軍の華僑粛清、英国系住民の弾圧の記憶が存在する。安易な護憲側の歴史観や保守派の言う国民の物語は無理がある。とはいえ歴史には謙虚でなくてはならないであろう。2021/01/08
Nobuko Hashimoto
17
このところ、歴史がどう記憶されるか、伝えられるか、それは何がどう影響するかといったことを扱った諸分野の文献を読んでいるのだが、やはり私は政治学の視点が合うと思いながら本書を読み進めた。参考になる事実、分析、表現がたくさんあって、付箋がニョキニョキ。なのに、なぜか全体をまとめられない本。。。2018/03/26
空崎紅茶美術館
10
レポート資料。とにかく「戦争」を語るのは困難だ。発端はあっても、戦争そのものの正しい意味付けは存在しない。語ろうとすればどうしても虚飾や嘘、誇張が含まれてしまう。極力「語り手」の存在を消したとしても、それでは結論が出ず、何を言いたいのか分からない。このテーマにおいて「網羅的議論の不可能性」がある以上、どうアプローチするかが難しい。「戦争」について知っておかなければならないと考えてしまうこと自体が、作り出された社会通念に染まっているのかもしれない。2011/11/01
D.Okada
6
「記憶から導かれた教訓や物語は、地域や時代によって異なる意味を持ち、同じ事件に関する物語でさえ、違う方向を向くことがある。それぞれの記憶と、そこからつむぎだされた物語が、まさに『共有された倫理的判断』を持つために、ぶつかってお互いの違いを自覚すると、相手を認めず、排除の方向に動いてしまう。異なる戦争の覚え方の背景には、このような、固有の記憶に根ざした複数の物語が、同時並行して語られる仕組みが控えている」(第2章から)。新書だけれど、内容はとても充実していると思う。要再読。2011/01/05
風に吹かれて
5
映画に関する本も出している藤原氏。アメリカの戦争観の変遷をキューブリックやスピルバーグが監督 した映画を素材に説明し、またヘミングウェイの長編小説『日はまた昇る』、『武器よ、さらば』、『誰がために鐘は鳴る』も意味のない戦争で砕かれた自我が正戦を見出すことで回復するという一筋の物語として説明していて、理解しやすかった。日本に関しても、もちろん書いてあり、大切なのだが、今の国会状況を見るにつけ、なんとも言えない不安を感じる。公の議論は、個の記憶と思いをしっかり見つめて行われるべきだと思う。2015/09/04