出版社内容情報
【内容紹介】
僕たちの終章はピンボールで始まった。雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……青春の彷徨は、序章もなく本章もなく、いま、終わりの時を迎える。新鋭の知的で爽やかな’80年代の文学。
この倉庫での彼女(ピンボール)との邂逅場面の清潔な甘美さと知的なセンチメンタリズムは上等でとても筆舌に尽くし難い。さらに重要なのは、〈僕〉がその体内にとりこんだピンボール・マシン=外国との、やさしく堂々とした結着のつけ方である。希望、絶望、おごり、へつらいなど、いかなる色眼鏡もなく、この20世紀のコッペリアと一体化し、そして突き離しながら、〈僕〉は、自分と彼女がどう関わり合っているかをたしかめる。こうして〈僕〉はゆっくりとした歩調を保ちながらなにものかになって行くのだ。主人公が海外渡航しない「海外渡航小説」の、これはみごとな収穫といえるだろう。──井上ひさし(朝日新聞文芸時評より)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
バネ
75
ピンボールマシン、コーヒー、古いSTAN GETZ、日曜日の午前。。そんなコトバの断片が実に心地良く。 「鼠3部作」の2作目というコトで、前回同様あまり深く考えず、流れるように読んだ。今回も、読み易いが(深読みすると)難解な作品だった。2024/02/16
Y2K☮
32
古書市で単行本入手。読むのは何度目かだけど、ずっと「風」と「羊」の中間という印象が強かった。白と青の混ざった水色みたいな。でも今回は単体の味を感じられた。鼠と僕はいずれも著者自身が投影されていると思うが、前者はシャドウの具現化で後者はペルソナに近い気がする。初期の作品はどうしても主人公のキザでマッチョな要素に目が向くけど、あれは青春時代の春樹さんが抱いていた憧れやなりたい自分の表れだったのでは? 実生活の苦労や創作を通じてそれらとは異なる己の実態と向き合い、ソフトランディングすることができたように感じる。2025/10/15
akane_beach
19
”僕”は捕まえた鼠が4日目の朝に死んでいるのを見たときそれに教訓を得る。「物事には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。」中盤から失われたピンボール(直子)探しに奔走する。倉庫で対話したことで失ったものを認め、これからは先に進めるのではないか。双子は役目を終え去るが元々実感がない存在で答えを導く精霊のようなもの?他に意味深な”井戸”、死にかけた”配電盤”、ビートルズの”ラバー・ソウル”、鼠が何かと訪れる”霊園”…etc。鼠は何を決断したのか。事務員の女の子は現実的なものの象徴かな。2014/03/24
Yoshitomo Ono
19
約20年ぶりに本棚から引っ張り出して読んだ。学生時代の恥ずかしい自分に合うような感覚があった。まるで主人公(僕)がピンボールと再会するような感覚なのかもしれない。村上春樹の小説では一番最初に読んだ作品なのだが、学生時代とはちょっと違う感覚だ。昔は、僕よりも若干上の年代を憧れて読んだが、今は読んでからの20数年を懐かしむような感覚が強い。すっかり話を忘れている『羊をめぐる冒険』を読んでみるか。2014/01/05
akane_beach
17
春樹は複数回読まないと。ビールとフライド・ポテト、もしくはコーヒーとコーヒー・クリーム・ビスケットが無性に食べたくなる。斬新だけど、想像したらたぶんマズそうだと思うのが、双子と訪れたくぬぎ林で食べた椎茸とほうれん草のサンドウィッチ。気になる。世界の果てのような場所にある元養鶏場の冷凍倉庫にずらりと並んだピンボール台。「思い出せぬくらいに古い夢の墓場」というフレーズは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の図書館の頭蓋骨を思い出した。意識と無意識。またそのうち読もう。2014/03/28




