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証言記録 生還―玉砕の島ペリリュー戦記

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  • サイズ B6判/ページ数 391p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784054046726
  • NDC分類 916
  • Cコード C0021

内容説明

一九四四年九月十五日、パラオ諸島のペリリュー島へ精鋭米第1海兵師団を中心とする延べ四万に及ぶ米軍が襲いかかった。当時東洋一といわれた飛行場奪取を目的とするこの作戦について、第1海兵師団のルパータス少将は三~四日で終わると公言していた。だが、迎え撃つ一万名弱の日本軍守備隊は、珊瑚礁の洞窟に潜み、中央高地を利用した縦深防御により米軍を待ち構えていた。未曽有の激戦によりおびただしい犠牲を出した海兵隊は、継戦能力をなくしこの戦場から撤退して行った。さらに驚くべきことに、玉砕の島で終戦後の昭和二十二年四月まで、洞窟やジャングルに潜み三四人の日本軍兵士が生き残っていた。本書は、この三四人の証言記録をもとにペリリューの激戦の模様と救出までの苦闘のドラマを描いたものである。

目次

序章 五〇年目の玉砕地
第1章 死出の旅
第2章 オレンジビーチの死闘
第3章 敵前逆上陸
第4章 玉砕
第5章 敗残の洞窟生活
第6章 奇跡の投降
終章 祖国

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

小鈴

19
読み始めたらあっという間だった。ここまで詳細な戦記があるのは生き残ったからであって、全滅した隊の詳細は分からないまま歴史の闇に埋もれている。生き残った34人の大半は、アメリカの上陸を阻止するため前線で戦った兵士だった。山岳部の司令部は玉砕、全滅。直前まで詳細な戦闘報告が残されているが兵の気持ちまで分からず。司令部と分断したから生き残った。マンガを読んでいるときは1945年8月15日までがんばれと応援していたが、彼らはその後なんと二年間も島で洞窟生活をしていたのだ。軍属の仲間とは45年以降に出会っている。 2018/08/08

のら

1
ペリリュー島にもサイパン島と同様に玉砕後にもゲリラ戦を生き抜いた将兵がいたのですね。生き残った将兵が投降するまでが克明に書かれていました。世間体を気にしているのか投降しないと言っていた軍曹も翌日には投降したり、色々な人間模様が見えました。戦後に生まれた私が強烈に記憶に残っている帰還兵は、横井さん・小野田さんの二人です。この人達も数人で生き延びていたものの投降する時には1人になっていました。いまだ未帰還の将兵が南方の島にいるような気がしてなりません。2012/05/14

artillery203

1
ペリリュー戦記としてもよいが、それよりもペリリューで生き残った人々の、ペリリューでのその後に焦点が置かれているように思う。小集団となったときの日本人の心理がよくわかる2012/01/06

くらーく

0
絶対国防圏を破られた時点で、敗戦を認めれば。。。。 奇跡的(1%未満)に生き残った人から聴いた記録は、悲惨でありユーモアもあり。中川大佐が自刃した後は、ある意味無意味な戦いだったのだけど、 まあ、そこからが人間性や国民性が良く出ているなあと興味津々。 女がいると争いが起きるから自ずと男色がでてくる、とか、アメリカは戦死者を全て国に帰したけど、日本はそのまま放置している、とか。 改めて、日本と言う国は、末端の人には冷たく、ある地位以上の人には甘いなあと。どうしてかねえ。まだ、士農工商や貴族文化が身につい2015/05/23

Arte

0
日本軍がゲリラ戦を展開したため、米軍の損耗率も50%を越えていたのね。日本軍は負傷者の自殺や他殺が多いので死者が多いが、米軍は負傷者は運んで病院船で治療するので、実際は同じぐらいの殺し合いだったのかも。戦後も立てこもっていた34人の日本兵を投稿させようと、米軍が急遽家族に書かせた手紙の一部が読めたのが興味深かった。マッカーサーの善政についても書かれていた。2022/07/15

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