出版社内容情報
広島市内で被爆し原爆症を発症、12歳で亡くなるまで周囲の人を思いやりながら千羽鶴を折り続けた佐々木禎子さんの真実の物語。
広島で原爆にあい、10年後に原爆症となった少女・佐々木禎子さん。12歳で亡くなるまで、周囲の人を思いやり、明るくふるまいながら千羽鶴を折り続けた禎子さんは「原爆の子の像」のモデルとなりました。実の兄がはじめて書いた禎子さんと家族の物語。
【著者紹介】
広島県広島市生まれ。佐々木禎子の実兄。1945年8月6日、禎子、母、祖母とともに被爆。禎子の折鶴の寄贈や学校教育現場での講演活動などを通じて、「まわりを思いやる心」の大切さを伝える活動を続けている。
内容説明
“原爆症”のため12歳で一生を終えたヒロシマの少女“サダコ”と家族の物語。
目次
禎子が生まれた日
一九四五年八月六日
ひもじさとの闘い
禎子、入学
幸せな日々
父の借金
異変の発覚
入院
カルテの数字
今度は私の番だ
折り鶴に祈りを
禎子の秘密
お別れの日
著者等紹介
佐々木雅弘[ササキマサヒロ]
1941年、広島県広島市生まれ。1945年8月6日、被爆。NPO法人サダコ・レガシーの代表として、「まわりを思いやる心」の大切さを伝える活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ベーグルグル (感想、本登録のみ)
47
原爆の像のモデル、佐々木禎子さんの本。実兄の雅弘さんが書かれたもの。原爆症となり12歳で亡くなった禎子さん。辛い病状にも弱音を吐かず、痛みにも耐えながら、自分の事でなく家族の幸せを考えていた姿に涙が止まりませんでした。千羽鶴を折ることで病気が治ると信じ続けた禎子さん。今は原爆の像として、平和を守ってくれています。二度と原爆投下、そして戦争を起こしてはいけない・・。いつか実際に原爆の像を観に行きたいと思います。2018/09/21
ミーコ
44
戦争と原爆のコーナーから選んだ1冊です。「原爆の子」のモデルとなった禎子さん、12歳と言う若さで、この世を去らなくてはならなかった無念さ・・・ それなのに、涙も見せず痛みに耐え、家族の幸せを第一に考えた姿に胸を打たれます。それなのに人や国を恨まず なんて出来た人だったのでしょう。今日の新聞に著者である雅弘さん提供の禎子さんの写真が載っていて 涙が溢れそうになりました。何万人もの命を奪った原子爆弾、二度と戦争は起こしてはならないと心から思いました。 2017/08/03
なつ
23
小6の修学旅行。行先は広島・山口。メインは原爆ドーム。晴れ渡った初夏。青い空と樹々の緑。外から見た原爆ドームは1つの風景、1つのモニュメントとして美しいと思った事を鮮明に覚えている。当時11歳の私は完全なる第三者ただの訪問者でしかなかった。その事を中に入った瞬間思い知らされ、そんな自分が恥ずかしかった。その後『原爆の子の像』に皆で折った千羽鶴を供えた。その像のモデルがこの本の禎ちゃんだったとは。33年経ってまた逢えた。「幸せを掴んで欲しい」との願いを込めてお父様が名付けた『禎子』ちゃん。どうか、安らかに…2022/09/15
杏子
15
読書感想画指定図書高学年向け。「原爆の子」の像のモデルになった佐々木禎子の物語。実の兄によるもの。原爆症によって、たった12歳でこの世を去らねばならなかった少女の無念が伝わってくる。それなのにどんなに辛くても、家族の前では明るくふるまって心配かけないようにしていた。自分のために働いて疲れている父親のために、病院を抜け出して頭痛薬を買ってきてあげたというエピソードが印象的。人への思いやりの心に充ちていた。千羽鶴を折ることで回復を願ったが果たせず、次の1000羽は家族のために折っていたという。胸が痛む。2014/07/21
退院した雨巫女。
13
《私ー図書館》禎子ちゃんのお兄さんが語る等身大の禎子ちゃんが、健気で切ない。原爆の怖さと戦争の恐ろしさ。2014/07/26
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