出版社内容情報
「いかに生きて死すべきか」という命題について、ソクラテスからカミュまで、8人の哲学者が残した言葉を手がかりに考えた一冊。「門脇先生は哲学をポップスや映画と同じレベルで語る」という内田樹氏の帯も必見!
内容説明
いかに生きて死すべきか。古今の哲学者たちが考え抜いてきたこの命題について、哲学者たちが残した言葉を手がかりに考えてみました。取り上げているのは、ソクラテス、プラトン、アウグスティヌス、パスカル、ニーチェ、ヘーゲル、カミュ、レヴィナスの8人。彼らが紡いできた言葉の単なる解説ではなく、現代に生きる私たちならその言葉をどう解釈するべきか、という視点で読み直しています。専門用語ばかりの難解な哲学書に何度も挫折してきたという人におすすめの入門書です。
目次
序章 「死を知っている者は誰もいない」―プラトン『ソクラテスの弁明』より
第1章 「他者とは、殺したいという誘惑に駆られる唯一の存在者である」―エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』より
第2章 「私の幼年時代はとっくの昔に死んでしまったのに、私は生きている」―アウグスティヌス『告白』第一巻より
第3章 「これが生だったのか。よし!もう一度!」―フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』より
第4章 「自殺は認識の不足である」―アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』より
第5章 「人間は、自分が死ぬことと宇宙の自分に対する優勢とを知っている。宇宙は何も知らない」―ブレーズ・パスカル『パンセ』より
第6章 「死という否定に留まることは、否定を存在に変換する魔法の力である」―ヘーゲル『精神現象学・序論』より
終章 「真正に哲学する者たちは死ぬことを練習している」―プラトン『パイドン』より
著者等紹介
門脇健[カドワキケン]
1954年福井県に生まれる。京都大学文学部・同大学院文学研究科で宗教哲学を学ぶ。主な研究分野はヘーゲルの宗教哲学。現在、京都にある浄土真宗系の仏教系大学である大谷大学文学部哲学科で教鞭をとりつつ越前市の真宗大谷派善久寺で住職をつとめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ジム
Yasushi I
ニョンブーチョッパー
みどるん
UT