内容説明
明治から第二次世界大戦までの日本の戦争を、国家主体の戦争論ではなく、“郷土”がどのようなかたちで戦争にかかわってきたのかという新たな視点で考察。市井の人々は戦死者に対しどんな感情を抱き、“郷土”とのかかわりのなかでどう「聖戦」に組み込まれていったか。戦争を生きのびた者は、“郷土”というつながりのなかで、どう過去の戦死者たちと向き合ったか。各地に残された慰霊碑、記念誌などを軸に検証する。
目次
第1章 戦死者を忘れ、また思い出す“郷土”―日露戦後~昭和初期(記念誌のなかで忘れられる戦死者;平和に抗議してよみがえる戦死者;満州事変の正しさを語る戦死者・老兵・帰還者たち)
第2章 兵士の死を意味付ける“郷土”―昭和の戦争1(兵士の苦難を意味付ける地域の体制;慰問という監視装置;銃後社会のゆがみ)
第3章 兵士に死を強いる“郷土”―昭和の戦争2(慰問文に見る戦死の慫慂;戦死者と“郷土”はどう向かい合ったか;銃後奉公会のその後)
第4章 戦死者は「平和の礎」なのかと自問する“郷土”―戦後(追悼は生者たちのために―一九五〇年代;戦死者遺児たちの戦後―靖国神社集団参拝をめぐって;戦争は“正義”だったのか?―一九七〇・八〇年代;戦死者を忘れ、豊かさにひつぁる―「戦後五〇年」をめぐって)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nnpusnsn1945
49
電子版で読了。戦前、戦後の郷土の兵士に対する慰霊を分析している。忠魂碑建立や、追悼録、回想録などを読み解いた結果として、戦前も戦後も慰霊に対する確固たる軸を持たない状態であったと著者は総括する。論文を纏めた内容ゆえやや締まりに欠く。しかし、戦前の慰霊が、大正デモンストレーションによる日露戦争の忘却に対するアンチテーゼであることや、戦後の回想録に過酷な戦場の実態が見て取れる物もあることがわかった。戦後における遺児の靖国参拝の感想文も多様である。2022/02/28
さすらいの雑魚
45
エグい表題のままエグ味たっぷりの作品。命がけで戦う戦場の兵士と安心安全な後方で慰問顕彰に励む故郷の人々との断絶を、慰問誌で戦死者を称揚し家族を人質にし兵達を栄えある死へ押しやる郷土の無意識な冷酷を、無邪気な子供の お父ちゃんの代わりに死んでくれてありがとう 的な慰問文の残酷を、発掘した資料を提示し淡々と著述する冷徹。読むほどに苦しくなる。敗戦による戦前戦後の価値の転倒が戦没者遺族と故郷の人々とを引き裂き、戦後社会の歪みの淵源となるに至り著者の鋭鋒は今のボク等に向く。無知と忘却に逃げる事など許されはしない。2021/08/22
Toska
11
大岡昇平曰く、戦陣訓で最も悪質なのは「死して虜囚の…」ではなく、寧ろ「常に郷党家門の面目を思ひ」の一節であるという。そのことの意味がよく理解できた。故郷は戦地に赴く兵士たちを励まし、同時に(少しも悪意なく)彼らを死に追いやり、残された遺家族の不満を抑えつけた。美しくも残酷なドラマ。一方、戦没者遺児の靖国集団参拝など戦後の描写を通じて、故郷の側もまた深い傷と葛藤に苦しんだことが分かる。2023/07/14
彩也
7
「戦死者たちは国の、そして平和の礎となった」とは、よく聞かれる発言である。しかし、これらの発言は身内の死を「無駄死に」だと考えることを拒否する心情の表れであり、またこれらに乗っかり続けたために「戦没者=国家のために戦死した者をどう追悼するのかを、みずからの言葉・様式で考えてこなかった」という。明治時代から、戦争が終われば〈郷土〉は戦死者たちの存在は忘れ去った。だが、「今」への批判としてその存在が有用であれば、持ち出した。「死者の威を借る」人間の発言は、いつの時代も変わらない。死者はかくて利用されうる。2012/10/14
てまり
6
日本の戦争について、国民が意識していた目的意識とはなんだったのか(例えばお国のためやらかわいそうな植民地の解放のためやらね)を、地域が立てた碑や証言集を手掛かりに読み込む。つまりはどれだけの輝かしい正当性を国民が信じていたかということで、とても興味深かったんだけど、私の感覚としてはたして人はそんなに目的を気にするものだろうか?という謎が。(たとえばなぜあなたは会社に勤めてるの?って問い詰められても困らん?)戦争が終わると遺族ですらも目的を見失いがちなのは、根源的に移りゆく人生の哀しさに思えた。2022/06/14