出版社内容情報
万葉集の時代は〈われ〉と出会い、新たな〈われ〉が発見されつつある時代だった。〈われ〉の歌の諸相から、短歌とは何かを解き明かしていく。
内容説明
万葉人たちが生きた600年代半ばから700年代にかけては、中央集権国家が成立し、都市生活者が現れ、個の自覚や孤独が意識され始めた時代だった。恋の歌から挽歌まで、万葉集の歌の「われ」を検証しつつ、近・現代人の心の基底部を照らす。
目次
第1章 はじめに(短歌はなぜ一人称詩なのか;「われ」とは誰か ほか)
第2章 万葉集の「われ」の現場(宴席歌の「われ」;旅の歌の「われ」 ほか)
第3章 万葉集を考える(短歌とは何か;「内」と「外」 ほか)
第4章 終わりに(残された問題;多様な「われ」 ほか)
著者等紹介
佐佐木幸綱[ササキユキツナ]
1938年東京都生まれ。歌人。「心の花」編集長。歌集に『群黎』(第15回現代歌人協会賞)、『瀧の時間』(第28回迢空賞)、『旅人』(第2回若山牧水賞)など14冊。河出書房新社「文藝」編集長を経て、早稲田大学政治経済学部教授。朝日歌壇選者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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はちめ
6
万葉集の時代を共同体の中に埋もれていたわれ、つまり自我が自立を始めた時代だという考えにより書かれている。共同体に埋もれた自我という問題は分かりにくいようで、実は現代を生きる日本人にも切実な問題として残っている。自身の考えというものを他者に寄りかかる形でしか持ち得ない日本人は案外多い。大伴家持が最終的にたどり着いた孤独の中のわれを感じ得る日本人は多くはないのではないだろうか。 読んで面白い名著。☆☆☆☆☆2020/04/21
はちめ
4
万葉集研究に関する3代の蓄積を感じる。興味深い指摘がたくさんあるが1つだけ紹介。万葉集には遊行女婦(うかれめ)による短歌があるが、遊行女婦の短歌には「われ」が使われていないという。これは、例えばクラブのホステスは自分の話をするのではなくお客さんの興味がありそうな話題でその場を盛り上げようとするのに似ている。スナックの経験の浅いホステスは自分の自慢話で会話を作ろうとする。遊行女婦は采女が何らかの理由で遊行女婦になったりしていたらしいので、教養も十分持ち合わせていたのだろう。☆☆☆☆☆2022/08/09