横川の光―比叡山物語

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  • サイズ B6判/ページ数 265p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784046214348
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0095

内容説明

最澄が開き、多くの名僧が学んだ比叡山。中でも「横川」は円仁、良源、源信、道元などの傑出した独創的宗教者を輩出した。彼らが残した思想や比叡山の意義とは何か。現代の異端・梅原猛が、天台宗大僧正・今出川行雲、そして父との相剋の中で創造的学問を試みる美学者・梅原賢一郎とともに語る。

目次

1 比叡との縁は深く(憧れの師だった;ヘーゲル読破のための山ごもり;比叡山三塔十六谷―東塔、西塔、横川;哲学から仏教に斬り込む;延暦寺の相談役;天台本覚思想と良源、元三大師;横川を開いた円仁、恵覚大師;「横川の僧都」こと源信、恵心僧都;能の思想の根底にある日本独自の自然観;人づくりの教え―仏教とは仏になる教えである;「後戸の神」、摩多羅神;良寛のどこに惹かれるか;良寛百八十年忌;書と芸魂;親鸞、出雲神話、世阿弥、天台本覚思想)
日本仏教の母なる山で―天台宗大僧正 今出川行雲
2 あえて茨の道を往く―父と子、それぞれの学究心(伝来の資質は何をか語らん;叡山・横川で過ごした夏;父の口癖は「死んだほうがましや」;言葉で言い表せない世界に関心を;同じ道を歩む契機はどこに?;有名な父、闘争的な父;ポレミックな姿勢の背景;奴隷の学問から脱しなくては…;「闇のパトス」をめぐって;『感覚のレッスン』、父の視点;独創性という至上命令;梅原歴史学の根本にある「感情」;「感情」の父と、「感覚」の息子、その相違点;肉と解釈と;時の厚みの学び方;川端康成との共鳴、ともに背負いし哀しみ;「親鸞の苦悩を書かずには、僕は極楽に行けん」;道元への新しいアプローチ;囚われを捨てて;「最初に思った通りだったら、それは失敗」)
美とカミへの「穴」を求めて―美学者 梅原賢一郎

著者等紹介

梅原猛[ウメハラタケシ]
哲学者。1925年、宮城県生まれ。哲学から仏教の研究に入り、その間に『隠された十字架』(1972)、『水底の歌』(1973)を執筆。その後、縄文・アイヌを研究。「梅原日本学」を確立。国際日本文化研究センター初代所長

奥田昭則[オクダアキノリ]
1949年、徳島県生まれ。東京大学仏文科卒業後、毎日新聞社に入社。記者として奈良、広島、神戸、阪神の各支局、大阪本社の社会部、学芸部などを経て、学芸部や神戸支局、大阪本社編集局の各編集委員を歴任。日本テーラワーダ仏教協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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moonanddai

10
著者(の代表)は梅原猛となっているが、土地らかというと(最後に名前の出ている)奥田昭則氏の文章(新聞に掲載した特集記事)がメインで、「比叡山物語」とは言え今出川行雲比叡山の大僧正と(梅原猛氏の息子の)哲学者梅原賢一郎氏を紹介するもののようで、ちょっと思惑が外れました。良源(元三大師)については結構言及されていましたが、やはり比叡山ですので、最澄についてももっと語って欲しかった。2023/09/24

The pen is mightier than the sword

1
哲学者梅原猛さんが今出川行雲さん、息子で人間文化学部助教授賢一郎さん、それぞれとの対談を通して主に伝教大師最澄を語ったもの。最澄は天台宗の創始者として知っていたが、教育実務の手腕も大したものだったようだ。梅原猛さんは最澄のことを「最澄は自分を曲げずに権力と付き合えた人。権力を利用しているけど自分は絶対に曲げない。自分の理想を実現するために権力と巧みに付き合っている」と評している。延暦寺の繁栄にも表れていて、最盛期には僧坊が3,000人を越えたそうだ。こういった話が梅原猛さんの軽快な語り口で楽しい本だった。2017/10/15

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