出版社内容情報
10年以上もの不妊治療、2度の流産、死産。それでも育てることをあきらめなかった夫婦が、「特別養子縁組」を決意するまでの葛藤と、ドタバタだけれど幸せな子育てを、夫婦それぞれの視点から綴ったエッセイ。
2度の流産、死産後、妻の持病の子宮筋腺症が悪化し、子宮全摘の手術を受ける。その直後の病室で、「それでも、育てることはあきらめたくない。養子を迎えたい」と綴った手紙を妻が夫に渡し、夫も養子縁組を決意。研修を修了し、「待機」に入った矢先に、ある日突然、委託の赤ちゃんを迎えることとなる。
長きに渡る不妊治療を経て、養子縁組を決意するまでと、赤ちゃんを迎えてから、審判が確定し実子となり、1歳になるまでを、夫婦それぞれの視点から、ときには夫婦の行き違いや未熟だった点も含めて、素直な気持ちを綴っている。
養育期間を経て審判が認められると、戸籍上も実子として認められる「特別養子縁組」は、「新しい家族のかたち」として注目されている。本書はその貴重な実例であると同時に、夫婦が幸せを模索しながら、それでもあきらめず歩んでいく姿が静かな感動を呼ぶ。女性の自己実現とは? 家族とは? 夫婦の絆とは? さまざまな観点から考えさせられる1冊。巻末に、特別養子縁組の基礎知識を掲載。
<妻>
・妊活マラソンに終止符を打つ
・赤ちゃんがやってきた!
・お母さんと呼ばれて胸が躍る
・養子をどこまで知らせるか
・裁判のための家庭訪問
・名実ともに親子になった日
・子育てと不妊の大変さの違い
・パートナー(パパ)への願い …など
<夫>
・血のつながらない子を愛せるのかという不安と実際
・赤ちゃんと対面したとき
・パパになったと実感したとき
・初めて1人でお世話したとき
・養子を伝えたときの周囲の反応 …など
内容説明
10年以上も不妊治療し、2度の流産、死産を経て、子宮全摘。その手術後の病室で「産めなくても、育てることはあきらめたくない。養子縁組をしたい」と書いた手紙を渡し、夫も決意。研修を受け「待機」に入った矢先に、赤ちゃんが突然やってきた!養子縁組を決意するまでの葛藤と、赤ちゃんを迎えてからのドタバタだけれど幸せな子育て、審判で実子となり1歳になるまでを夫婦それぞれの視点から綴ったエッセイ。「新しい家族のかたち」として注目の「特別養子縁組」の貴重な実例。
目次
序章 プロローグ(それでもやっぱり育てたい;1本の電話からすべては始まった ほか)
1章 新米パパママの奮闘記―0~3か月(「赤ちゃんを守る!」私の中の全細胞が反応;「お母さん」と呼ばれて胸が躍る ほか)
2章 ついに入籍!実子となる―4か月~1歳(日常になっていく幸せな日々;養子縁組あっせん団体の訪問 ほか)
3章 養子を迎えるまで―不妊治療から流産・死産(結婚から妊活へ;「少し休もうよ」と言う夫と心がすれ違う ほか)
4章 養子を迎えるまで―妊活終了から養子を迎える決意(「いつか」という人生の先送りをやめる;子どもがいなくてもその人の価値は変わらない ほか)
著者等紹介
池田麻里奈[イケダマリナ]
不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳で結婚し、30歳から10年以上、不妊治療に取り組む。人工授精、体外受精、2度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘後、「それでもやっぱり育てたい」という自らの思いを確信し、特別養子縁組を決意。44歳のとき、0歳の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている
池田紀行[イケダノリユキ]
トライバルメディアハウス代表取締役社長。妻とともに不妊治療に取り組み、長い間実子を望んでいたが、妻の子宮全摘後に「それでも育てたい」という望みを伝えられ、特別養子縁組を決意。46歳のとき、0歳の養子を迎える。企業のマーケティング支援を行いながら、多数の講演活動も行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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