内容説明
霊場高野山を拠点に諸国を遊行した高野聖。歴史上の聖たちは、泉鏡花の名作『高野聖』で描かれた道心堅固な僧ではなく、妻帯して世俗生活を送り、末路は悪行も働いた下級僧侶だった。だが彼らこそ、民衆に根ざした生きた仏教の担い手であり、寺院経済を支えてきた存在だった。空海、西行、一遍などの足跡や歴史に埋没した古代から中世までの聖階級の活動に光を当て、徹底した“庶民史観”で日本宗教史を変えた、不朽の名著。
目次
聖というもの(隠遁性と苦行性と遊行性と;呪術性と集団性と世俗性と)
聖の勧進と唱導―勧進性と唱導性
高野浄土
高野聖のおこり
祈親上人定誉
小田原聖教懐と別所聖人
覚鑁と別所聖
仏厳房聖心と初期の往生者
高野聖の文学〔ほか〕
著者等紹介
五来重[ゴライシゲル]
1908年、茨城県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業後、京都帝国大学文学部史学科に再入学。高野山大学教授、大谷大学教授を歴任。大谷大学名誉教授。文学博士。専攻は仏教民俗学。93年12月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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やいっち
69
個人的には我が富山県が高野聖と意外なほどに関りがあると知って驚いた。というより、高野山の高野聖は信長や家康によって徹底的に痕跡を消されて、高野山といえば空海の金剛峯寺のイメージ一色となった。時宗は何処へ? である。が、富山(に限らないだろうが)など地方には、高野聖の痕跡が数多くの各地の祭りなどの形で残っているわけである。富山への認識を新たにした思いである。2023/11/02
南北
43
泉鏡花の描く道心堅固な高野聖とは違う実像を明らかにした本。寺院の再建などで「勧進」を行うため諸国を廻国するのが本来の仕事だが、身分が低い存在とみられていた。やがて宿坊や納骨、さらには戦国時代になると商人や隠密になることもあったようだ。行基や空海、西行などもこうした「聖(ひじり)」と考えると違った姿が見えてきて興味深く読めた。鎌倉時代の武士が出家しても地頭職を続けたり、高野山がかつては念仏が盛んだったりするところは歴史の新たな一面が見られたと思う。妻帯する現代の僧侶は昔の「聖(ひじり)」と同じなのである。2021/10/27
松本直哉
28
哲学的思弁や苦行だけでは宗教は庶民の心をつかむことはできない。庶民とともに各地を遊行し世俗の塵にまみれて妻帯し苦楽をともにする半僧半俗の聖は仏教を身近なものにしただけでなく、勧進という名の集金によって寺院の経済的基礎を支えた。高僧だけしか記述しない仏教史に逆らって、無数の無名の縁の下の力持ちの下級僧侶の群像を描く。空海や西行の漂泊も、親鸞の妻帯も、聖という補助線を引くとよくわかる。その呪術性や世俗性や遊行性や胡散臭さの点で、ヨーロッパ中世における魔女や占星術師と比べることができるかもしれない。2021/11/18
川越読書旅団
26
泉鏡花による日本現近代文学における幻想小説の先駆的作品。現代人にも十分共感できる恐怖と教訓を明治33年(1900年)においてすでに文学的視点から饒舌に語る秀作。というか、この作品こそがこの手の恐怖譚や教訓譚のベースになっているのかな。2024/04/28
ジャズクラ本
22
◎初版は昭和四十年。浄土念仏と真言を併せもった高野聖の成立からその衰退までを、覚鑁、西行、重源、明遍などの主だった聖の所業を紐解きながら、この俗僧たちの実態を明らかにしている。そもそも私度僧なので玉石混交ではあるが、室町終盤以降の堕落ぶりは目に余るものがある。このあたりのことは街道をゆく_高野山みちにも詳しい。というか街道をゆくがこの本の終盤を参考にしたと、司馬も文中にふれている。何度読んでもよく解らないのが浄土念仏と真言の融合の点。これについては更に他の書籍にもあたってみたい。2021/01/02