角川文庫 角川ソフィア文庫<br> 無心ということ

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角川文庫 角川ソフィア文庫
無心ということ

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  • サイズ 文庫判/ページ数 240p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784044076016
  • NDC分類 188.8
  • Cコード C0115

出版社内容情報

通俗な宗教論に斬り込み、宗教の本質を解明する、大拙、円熟期の名著無心こそ東洋精神文化の軸と捉える鈴木大拙が、仏教生活の体験を通して禅・浄土教・日本や中国の思想へと考察の輪を広げる。禅浄一致の思想を巧みに展開、宗教的考えの本質をあざやかに解き明かしていく。

鈴木 大拙[スズキ ダイセツ]
著・文・その他

内容説明

「無心」とはどのような意味か。無心を東洋精神文化の軸と捉える大拙が、仏教生活の体験を通して、禅、浄土教、日本や中国の思想へと考察の輪を広げながら、その宗教的意味を明らかにする。浄土教、親鸞の研究にも優れた業績をあげる大拙は、本書で禅と浄土教を結び付けた独創的な禅浄一致の思想を巧みに展開させながら、誰もが知っておきたい、宗教的考え方の本質を爽やかに解き明かしている。

目次

第1講 無心とは何か
第2講 無心の探求
第3講 無心の活動
第4講 無心の完成
第5講 無心の生活
第6講 無心の体験

著者等紹介

鈴木大拙[スズキダイセツ]
本名、貞太郎。1870年、石川県生まれ。東京帝国大学在学中に、円覚寺にて参禅し、大拙の道号を受ける。1897年、渡米。「禅と日本文化」(英文)を発表。帰国後、学習院、東京帝国大学、大谷大学で教鞭を執るほか、英文雑誌を創刊し、海外に仏教や禅思想を発信した。1936年、世界信仰大会に日本代表として出席。イギリス、アメリカの諸大学で教壇に立った。1966年、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

イプシロン

26
(再読)3年前の自分の感想が恥ずかしくなるくらい、今回はきちんと解釈できたと思える。瞑想の実践と思索の積み重ねの結果なのだろう。畢竟、突き詰めれば「無心」は「倫理」という行為を生みだす源泉なのだろう。空腹を感じた男が持参した弁当を食べようとする。このとき男は無心の状態だとする。腹が減ったから、なんか食うかといった本能が働いたとする。しかし、ふと気づくと傍らに明らかに飢餓状態の子どもがいるのに気づく。男はほぼ無意識に子どもに言う。「一緒に食べよっか」と。そして男は子どもと一緒に弁当を食う。男がはじめに2021/12/30

テツ

22
鈴木大拙による講演の筆記を文字に起こしたもの。禅的なモノを文字を読むだけで理解出来る筈がない。正しく『不立文字』の四文字が示すように、体験しなければ到達することはない。それでも敢えてこうしてとてつもなく難解な言語として形にされ残されたことにはどんな意味があるのか。禅坊主などではない自分がこれを読むことにどんな意味があるのかなどと考えながら読了。無心、無心。意識と無意識の狭間で無様に無駄に思考を重ねつつ生きる日々を重ねながら、空に至れるのはいつの日か。2019/08/02

イプシロン

20
第一講から様々な語彙表現を用いて「無心」とは何かを語っているが、重要なのは無心を体験し、それを言葉にして語ることだと大拙は結論している。ではどう体験すればいいかといえば、意識をもって無意識を見ることで意識とも無意識とも言えない意識と無意識が一体になった心を見いだすのだと。いわば空の有無を意識と無意識に置き換えればいいのだと。具体的には行為しているときはそれに集中するということになろう。簡単なようで難しい。「ながら」という癖をまずやめなければいけないからだ。所詮、無心とは無我夢中になり没頭することであろう。2018/04/15

to boy

17
無心の境涯は仏教独自のもので、かねて東洋的心理の特徴とするものと著者はいう。自然のままの無心とは異なる人間的無心などについて語っていますが、なかなか難解で理解できませんでした。講演の筆記をもとに書かれたものだそうですが、こんな講演、一度聞いただけではさっぱりなんだろうなって思いました。2016/12/30

獺祭魚の食客@鯨鯢

15
仏教学者である著者がいう「無心」ということばは一般的な意味とは異なるようです。すなわち受動性を徹底してしまうとのこと。これでは相手の思うがままになる場合もあり、一歩まちがうと命まで差し出すことになりかねません。まさに釈迦の逸話「捨身飼虎」の世界で、一般人が真似できる状況ではありません。  やはり、相手を受け入れつつも、煩悩や邪念を振り払い、無我の境地になることであると解釈すべきかもしれません2018/04/15

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