内容説明
子ども達と手まりで遊ぶお坊さんとして名高い良寛は、越後国出雲崎の名主の長男に生まれたが、わけあって22歳で出家の道を選んだ。生涯に残した七百余首の漢詩には人の生きる道がやさしく説かれ、千四百余首の和歌には生きる喜びと悲しみが大らかに歌い上げられている。江戸時代末期、貧しくとも心豊かに生きたユニークな禅僧の生涯をたどり、和歌・漢詩を中心に特に親しまれてきた作品を解説した、良寛入門の決定版。
目次
良寛の生涯と詩歌(論語びたりの町名主の長男;家出したのち円通寺で修行 ほか)
修行から帰郷へ(故郷をめざす―ふるさとへ行く人あらば;旅寝の宿にて―浜風よ心して吹け ほか)
国上山の五合庵(岩間の苔水―山かげの岩間を伝ふ;梅にうぐいす―梅の花散らば惜しけん ほか)
乙子神社時代(国上山・乙子の宮―いざここにわが世は経なむ;弥彦に詣でて―ももづたふ弥彦山を ほか)
晩年の島崎草庵(島崎へ転居―あしびきのみ山を出でて;密蔵院にて―夜明くれば森の下庵 ほか)
著者等紹介
松本市壽[マツモトイチジュ]
1936年鳥取県生まれ。日本大学法学部卒業。40年にわたり書籍編集に携わる。良寛に出会って以降は良寛研究をライフワークとし、現在は良寛研究家として活躍。全国良寛会常任理事・東京良寛会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
40
以前、読んだつもりになっていた本を発見し、全く読んでいなかったことに気付き読んでみる。読んでいなかった理由は明らかで、興味が湧かなかったから。本が読めるタイミングはあるもので、恐らく今なら分かる本。良寛の子供好きとは、ニーチェのようにラクダ→ライオン→子供と、一周まわって子供好きということではないだろうか。人間は相反することを調定して成長していくものだが、出奔するとはその葛藤とその先の成長を放棄してしまうということ。父も弟も不幸に遭っている。良寛にとって、この事件がラクダのコブだったことであろう。2022/12/16
さばずし2487398
36
生まれは由緒ある立派な家柄でありながらトラブルに巻き込まれて家を出たところは鴨長明と似ている。放浪する事でインスピレーションが鋭くなっていくのだろうな。貞心尼とのやりとりが心温まる。良寛が他者に詩作を与えるのはおまけのつもりだったのに好評になってどんどん周りから求められて本人が困惑しているのが面白かった。それだけ人柄も愛されたのだろう。「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」「形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉」2024/02/16
ねこさん
23
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」と言う言葉を残した良寛の良寛たる所以も、筆者の意図も見えない。初学者だからといって平易であれば与し易いわけもなく、理解の延長に親しみという経験が残るわけでもなく、そんな本書とは無縁の感想だけが浮かんでは消える。今さら良寛に無視できない何かがあるような気がして、例えば極度の不安や抑圧を通過した静けさ、切なさを瑞々しく含んだ温もりを期待していて、この手の共感を求める直感が本を紐解く面白さでもあり、途中で飽きる時節には飽きるがよく候とも思いつつ、別の文献をあたってみたい。2019/10/24
rigmarole
20
印象度A-。レーベルの趣旨に添うように、平易な訳・解釈、丁寧な解説で、先に読んだ『良寛道人遺稿』と大違いです。こちらの方を先に読むべきでした。孤独な生活の中で(彼は里に暮らすよりもその方を好んだようです)、四季折々の自然を存分に味わい、いかに愛でたのかが、様々な形式の詩歌で良く伝わってきます。また、私が最高傑作とみなす「盗人にとり残されし窓の月」に代表されるように、多くの作品で彼の人となりがしみじみと感じられます。寛容で、風流で、仏教的精神に溢れる彼のことを愛さない人はいるのでしょうか。郷土の誇りです。2023/01/29
テツ
20
「あしひきの山田の案山子汝さへも穂拾ふ鳥を守るてふものを」 良寛和尚の遺した和歌、俳句、生き方について。十牛図の入鄽垂手に示されるように大悟したとしてもそこに留まり満足しているようではあまりにも無益。広く衆生と触れ合い安らぎを与え悟りの道へと導くことこそが求められる。ああこの姿って正に良寛和尚だなあ。増上慢に陥ることなく世界を見つめ世界を愛した彼の視線は無常観の中にあろうが優しい。こうして世界の中に在ることができるって理想だよな。2018/11/13
-
- 和書
- 御菓子司聚洸の源氏物語
-
- 電子書籍
- 小暮さんちのおいしいカタチ 今日からパ…