感じて、ゆるす仏教

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感じて、ゆるす仏教

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  • サイズ B6判/ページ数 296p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784044003258
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0015

出版社内容情報

世界で活躍する禅僧と気鋭の著述家が、新しく魅力的な仏教について語り合う【章立て】
第一章 「感じて、ゆるす」の誕生編
第二章 「感じて、ゆるす」の方法論
第三章 「感じて、ゆるす」の人生論

はじめに 魚川祐司

第一章 「感じて、ゆるす」の誕生編

一照さん
本章のテーマ
「感じて、ゆるす」とは何か
「考えるモード」と「感じるモード」は両立できない
なぜ「感じて、ゆるす」を強調するのか
修業に「他者感覚」が入ってくること
大学院のドロップアウトが第一の「挫折」
結婚が第二の「挫折」
十歳の時の「星空体験」
「俺が死ぬ時はだれも代わってもらえない」
「まずは自分の問題を片付けよう」と計画
「みんなが決められるのが信じられない」
「犀の角」への共感
「禅マスター」の孤独
「先生」として他者と出会う
「親密な関係」が欠けている
大義名分への疑い
「どうすんだよ、これ」
日本の僧侶は自身も「家庭の当事者」であり得る
修業のパラダイムシフト
顔つきまで変わる
とにかくお互いに向き合うしかない
修業は独りよがりになりがち
「特別な存在」が、感情の力を教えてくれた
感情を包摂するキャパシティ
修行否定ではなく、アプローチが違う
「修行」の範囲を拡張する
「自分」の絆を解体するもの
逆手に取るには努力が必要

第二章 「感じて、ゆるす」の方法論

本章のテーマ
断絶を求めて
「感じて、ゆるす」のブラッシュアップ
「ガンバリズム時代」の位置づけ
日本語で議論することの難しさ
盤珪の不生禅と白陰の公案禅
鈴木正三の仁王禅
プロセスとしてのガンバリズム
まずはヴィジョンの設定が大事
「感じて、ゆるす」の延長が悟り
話を聞いただけで「悟る」人たち
「伝統的解釈」と「非伝統的解釈」
「はずだ」論の問題
無我こそが事実だけれど
聞と思と修
「マインドフルネス」の問題
意識主導は「おとぎ話」?
期待だらけではじめるしかない
エゴを変容させる仕組み

第三章 「感じて、ゆるす」の人生論

本章のテーマ
瞑想は役に立つのか
仏教は「失敗したプロジェクト」?
はっきりした神秘
仏教の宗教性
ゴータマ・ブッダは「その先」を示す
「選択」できる環境が大切
動物化するいのち系仏教
大切なのは「無分別の分別」
無自覚な奴隷化
分別と無分別の弁証法
共通点は「感じてない」こと
虚構を共有するサピエンス
空・仮・中の三枚が必要
敢えてクリエイティブに崩すこと
無明と美
クエスチョンマークは消えない
仏教で人生はもっと面白い

おわりに 藤田一照

藤田 一照[フジタ イッショウ]
著・文・その他

魚川 祐司[ウオカワ ユウジ]
著・文・その他

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

chantal(シャンタール)

86
「感じて、ゆるす仏教」とは「悟りを開くためには何が何でもこうしなきゃ!」と頑張るのではなく、もっと自分をオープンにして、感情を豊かに深くして行きましょうと言う事らしい。著者がそう思い至ったのは結婚して家庭を持った事が理由の一つであるそうだが、確かに一人我が道を行く方が「他者と緊密な関係を築く」よりも簡単だ。ブッダも最終的には弟子に教える道を選択したしね。小難しい理屈はよくわからないけれど、引用された数学者、岡潔の言葉「人の悲しみがわかるのは理性、人が悲しんでいるから自分も悲しいのは宗教」が印象的。2020/02/17

ねこさん

23
いまここを味わうというワードでやると、どうしてもorder&controlになって力みや窮屈さが介入する。本書で語られるsense&allowは、味わう作用に身心を委ねるモードへの移行、と言った方が実感に近いかもしれない。内容的には不生禅だが盤珪と白隠の対比など、語り得ることをロジカルに明示することで、語り得ないことを個々人が読み込める。実際、率直であることの気楽さの獲得にはプロセスが相応に必要だし、とはいえ経験は提示できない。結果として修証一等をパラフレーズするしかない。多くの人に有用な書であると思う。2020/03/20

yutaro13

22
2018年刊行だけど今のところ魚川氏の直近の著書。曹洞宗の藤田氏が提唱する「感じて、ゆるす仏教」を深掘りしていく対談本。仏道修行のプロセスに意識主導は不要なのか、などふたりの主張の違いが面白い。魚川氏の著書をきっかけに仏教思想を学び始めた私からすると、「釈迦は本当はこう言ったはずだ」という「はずだ論」への批判やそこからの脱却を説くのは、仏教を客観的に捉える上でも至極真っ当で有益なことに思えるのだけど、藤田氏がどうしてもそこから抜け切れないのはやはり宗教家としての立場の違いからなのかな、と思ったり。2020/05/20

テツ

15
悟りを意識し思考しストイックに精神をすり減らし求道を続けた果てに見えてくるのは、きっと世界の全てを感じながらそれを穏やかに受動的に受け入れられる自分自身の姿。ただ最初からそうなることは人間には至難の業であって、通過儀礼として魂や精神をギリギリまで追い詰めるような時期が必要なんだろうなと思った。ぼくたちのような平々凡々たる一般人も同じだよな。世界を穏やかに受け入れるためには世界から受ける痛みと対峙してしっかりと苦しむという経験がなければならないんだろう。感情豊かに穏やかに世界の全てを会得する状態に至りたい。2020/09/12

takeapple

15
研究者と実践者の対談かなあと思い手に取ったが、魚川さんは研究者でありながらビルマへテーラワーダ仏教の修行に行ったし、一照さんは東大大学院で心理学を学び研究者としての基礎訓練を受けているし、現状の仏教の在り方に満足出来ず、改革しながら仏教的な生き方を広めて行きたいという2人の対談ということだったのかなあと私には読めた。一照さんの遍歴についても語られていて、東洋医学や身体論に興味があったんだということがわかった。武道とかも含めて、禅って身体で釈迦の教えを体感するってことなのかなと思えた。2018/09/12

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