出版社内容情報
田辺 聖子[タナベ セイコ]
著・文・その他
内容説明
人を笑わせるのは、泣かせるよりもむずかしい―。日本橋から京を目指して百二十五里、江戸庶民の大ベストセラー東海道中膝栗毛の旅路を、滑稽文学を愛する作家・田辺聖子が踏破する。流暢な怒罵嘲弄、調子のよい無責任、憎めない低俗と阿呆らしさ。弥次・北、そして十返舎一九と歩く爆笑の道行きは、さながら浪花のしゃべり漫才。気さくで気取りのない笑いの陰に、日本人が失った「生々たる猥雑」の輝きを見つけ出す旅。
目次
東都逸民、熊手一九の心意気
お江戸日本橋七ッ立ち
箱根のお関所
富士を右手に
ふりわけみればちょうど中町
宮の渡し
お伊勢さん参り
都名所・浪花の賑わい
終章
著者等紹介
田辺聖子[タナベセイコ]
1928年、大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校国文科卒業。64年『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』で芥川賞、87年『花衣ぬぐやまつわる…わが愛の杉田久女』で女流文学賞、93年『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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あきあかね
19
「わっさり、ふんわりした笑い」を追い求めた十返舎一九。お馴染みの弥次さん北さんの珍道中を描いた『東海道中膝栗毛』は、江戸の人びとの心をつかんだ。東海道の旅が終わっても、金毘羅や宮島、善光寺など参詣の旅のシリーズは続き、二人が江戸に帰り着いたのはなんと二十一年後だったという。 弥次さん北さんがドジをしたり、きたならしかったり、いやらしかったり、どの話もパターンが決まっている軽いお話であるのに、二百年以上の時の洗礼を経てなお、読み継がれている。いくら失敗しても、落ち込んだり反省したりせず、⇒2023/12/11
klu
14
弥次喜多道中の後を追う旅行記!街道歩きを趣味にしている人には良いガイドブックです。膝栗毛の内容はいまいち頭に入ってこなかった。2019/04/21
なおみ703♪
12
私は箱根八里が気にかかる。名所・史跡は書かれず、食べたこと体験して楽しかったことが滑稽に描かれてあるのが庶民受けしたのだろう。「ういろうを餅かとうまくだまされて こは薬じゃと苦い顔する」「手拭いと思ふてかぶる褌は」このうたに、田辺さんは「何だ、こりゃというような低次元のおかしみだが、褌や赤はだかに日常慣れ、拒否反応のない江戸人士は、男も女もここで笑っていたのだろう」という。江戸時代の庶民は大らかだったんだろう。シュリーマン(古代遺跡発掘家)の驚きは印象的。ほとんど裸に近い日本人に軽蔑哀れみはない。2018/12/15
Sakura
11
東海道中膝栗毛の弥次さん・北さんの旅を田辺聖子さんが辿るもので、物語の解説も入ってわかりやすいです。作者は「近代文学の概念でいうと下らぬ駄作」と一刀両断。糞尿趣味も甚だしいが、会話の軽妙さや阿保らしさが絶妙とのこと。作者の解説のおかげでその様子が読み取れる。こんなに下ネタだらけの作品だったとは驚きでした。それにしても歴史に文学にシャレに通じてないと、本作を理解するのは厳しいですね(汗)。2019/01/03
でろり~ん
3
楽しく読みました。奥の細道では幾分しゃっちょこばった感じのあった作者でしたが、膝栗毛ではすっかり緊張は取れて、まさに賑やかな道行を楽しませてくれたなあという感想でした。東海道の宿場町のエピソードには、ほうほうと感心させられるものが少なからず書かれていて、行ってみたい気にもなります。ま、出不精だから行かないだろうけど。食べ物の話は関西人の習慣を感じさせて、違和感バリバリではありましたが、楽しい本でした。で、このシリーズ、結局これで終わりになったんでしょうか。そうねえ、この作者も随分な年齢だしねえ、残念。2017/03/27