内容説明
昭和の始め、映画がトーキーになった。それまでのサイレント映画は、国境を超えて理解できる純粋な面白さがあった。世界は一つの文化を共有していた。しかし、映画に音が入ったとき、表現力が飛躍的に大きくなる一方で、映画は「ことば」という大きな壁にぶつかった。時あたかも世界大恐慌、ナショナリズムの台頭と共に、映画はプロパガンダの武器として利用され始める。娯楽から国策映画へ、不幸な変化の軌跡。
目次
1 トーキーがやってきた
2 ことばの壁をうちやぶれ
3 ナショナリズムとトーキー
4 映画と政治
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
岡本匠
2
プロパガンダ! 懐かしい言葉!昭和の時代は、こんな言葉を皆んな知っていた。国というものは、油断すれば、国民を教化しようとするものであると。 さて、現在は?2015/05/02
unflyable
0
映画のトーキー化が始まりより強く主張ができるようになった時代のお話。米独日多かれ少なかれいずれも国家による規制が行われたが、その結果は異なるものだった。世界に売り込むことを意識したアメリカは「カサブランカ」等歴史に残る名作を残した。国策映画を追求したドイツは「意志の勝利」など名作もあるが、評価はイマイチであったが最後の時まで徹底していた。反して日本は国策に貢献させようとするもお座なりで、内向きなものばかりであった。その差に疑問が残る。2016/06/19