内容説明
美しい男娼マリーと養子である美少年・欣也とのゆがんだ激しい親子愛を描き、1967年の初演以来、時代を超えて人々に愛され続けている「毛皮のマリー」。そのほか1960年安保闘争を描いた処女戯曲「血は立ったまま眠っている」、「さらば、映画よ」「アダムとイヴ、私の犯罪学」「星の王子さま」を収録。寺山演劇の萌芽が垣間見える、初期の傑作戯曲集。
著者等紹介
寺山修司[テラヤマシュウジ]
1935年、青森県生まれ。早稲田大学中退。67年、演劇実験室「天井桟敷」を設立。演劇・映画・短歌・詩・評論など意欲的に活動。83年、敗血症により逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
148
5篇を収録する戯曲集。篇中の白眉はなんといっても「毛皮のマリー」だろう。この作品は、こうして戯曲として読んでも、想像力が拡がって十分に楽しめるのだが、やはり舞台で見てみたい。寺山自身による演出で、1967年新宿文化劇場で初演されている。その時には都内21件のゲイ・バーが協力したというから、さぞかし賑やかで楽しい舞台だっただろう。また、その後もフランクフルト国際実験演劇祭やニューヨークでも上演されたようだが、舞台の様子は、その都度大いに違っていたようだ。それでこそ寺山劇だと思う。天井桟敷、見たかったなあ。2014/01/21
里愛乍
51
雑誌で寺山のドキュメントをしていたので再読。なるほど、確かに彼は言葉の人だ。彼にとっては物語のために言葉があるのではなくて、言葉のために物語をねつ造するのだという。それを踏まえて『さらば、映画よ』を読んでみれば、そこにいる舞台の人物は言葉の「代理人」ともいえる。言葉が代理人を使って語っているのだ。そんな嘘だらけの物語の中から、寺山の本当の言葉を探してみるのもまた一興。そういう読み方もありだなと思った。2016/05/11
ちぃ
35
言葉の連隊が大挙して押し寄せてくるようなすさまじさ…。言葉の錬金術師ってこういうことか!!!5篇の戯曲が一冊に収められていますが編み方も大変よく、見事に一つの無限ループを描いて宇宙を作ってます。みんな誰かの代理人。私は誰の代理人なんだろう?それを放棄し動物的に生きるということは意外と勇気がいる。遠くに行きたいという僕の願いをかなえてくれるのは汽車ではなく僕の中を流れる赤い血。人生とは自然に反して生きること。見せかけの栄光か本物の自由か。見てしまった歴史と処世。舞台等なくても誰もが芝居をしている。D.C.2016/10/07
北風
34
寺山修司の戯曲5本。個人的な感想ですが、寺山修司の苦手な部分を延々と読まされたようで、頭がクラクラします。最後の「星の王子様」がよかったですねえ。童話的なものへの反逆のような感じで(オチはダサかったですが)2015/05/11
多田幾多
23
寺山修司による残酷で不条理で不思議で耽美で歪んだ、「愛」の戯曲。親子愛、恋人愛、同性愛、兄弟姉妹愛から、文字愛、暴力愛、自分愛と、あまりにも独特で、小説…「文字」だけでは分からない。演劇を観なければ分からない。いや観たとしても「寺山修司」自身を分かるかどうか…俺には分からない。登場人物はみな、「自分を探している」「自分とは何か?」「ここではない何処かへ…涯に行きたい」と願いながら叶う事が無く痛みと喪失感だけが心に残り、まるで荒野に佇んでいるかのような…読んでいて、まるで人生を観ているようだ2013/05/14