出版社内容情報
一風変わった家がある。戸口が見当たらず、あるのは格子の嵌った窓ばかりで無用の者の侵入を嫌っている。そこに住む女――白痴女房もまたおかしな人間であった。人間なら誰しも備わっている理知の光が、女の顔からは欠片一片ほども感じられないのだ。その醜悪さに耐えきれず、伊沢はじっと空襲を待った。
戦争が、女を殺すのを見届けるために――。
内容説明
一風変わった家がある。戸口が見当たらず、あるのは格子の嵌った窓ばかりで無用の者の侵入を嫌っている。そこに住む女―白痴女房もまたおかしな人間であった。人間なら誰しも備わっている理知の光が、女の顔からは欠片一片ほども感じられないのだ。その醜悪さに耐えきれず、伊沢はじっと空襲を待った。戦争が、女を殺すのを見届けるために―。
著者等紹介
坂口安吾[サカグチアンゴ]
1906年(明治39年)、新潟生まれ。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。46年に発表した「堕落論」が反響を呼び、続く「白痴」によって太宰治、織田作之助らとともに新文学の旗手として文壇に特異な地位を築く。55年、脳出血により48歳で急逝(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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桜もち 太郎
16
日本の敗戦が近い東京大空襲でのできごと。映画会社に勤める伊沢のもとに、隣に住んでいた白痴の女が潜り込んできた。「生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった」そんな伊沢の精神状態の中、白痴の女の肉欲をどう扱ったらよいのか。生と死の狭間の葛藤。死ぬときは一緒。「俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうか」。他作「私は海を抱きしめていたい」は肉体の喜びを知らない女と、一人の女では満足できない貪欲な男の物語。自分の肉慾の小ささが悲しくなる物語。なんとなくわかる自分がいた。悲しかった。→2025/04/29
なしごれん
3
初めて読む坂口安吾。4篇収録。どれも癖が強い。戦争の記憶が色濃い表題作よりも、「行雲流水」が落語のようで読みやすく面白かった。異常な状況に反比例して、乾き退屈していく心情に迫った作品が多いのか。 「私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと言うことよりもずるい。」(私は海をだきしめていたい)2025/04/19
なぁこ
3
表題の『白痴』と『私は海をだきしめていたい』は面白いと感じたが、残りの短編に関しては、書いてあることが簡単なことにも関わらず、言いたいことがあまりわからない…と首を傾げることに。 哲学なのか、これは?それとも深く考えすぎなのか。書いてるままに読んでそれでいいとするべきなのか。 余計な念が邪魔をしてうまく感情移入ができなかったように思う。 それでも、あの時代の、男性(もしくは作者)が女性を「扱う」様子と、女性をどう見ているかが垣間見える気がします。2024/12/21
ハチ15
2
戦争的グロ、ブラックジョーク、笑えないコミカル調、非道徳なエロ。これがふんだんに含まれた作品...。 名作と呼んでいいのだろうか。 ただ「私は海をだきしめていたい」の、 ところどころの文章が共感の嵐。 冒頭のパンチがこれまた強烈。 「私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。」 以下、文章途中より抜粋。 「私は、私自身の考えることも一向に信用してはいないのだから。」「私なんか、どうせ変チクリンな出来損ないよ。私の一生なんか、どうにでも、勝手になるがいいや」2025/01/12
2000
0
読みながら、太宰治と相通じるものがあると感じた。時代の刻印が大きいと思うが、二人とも地方出身で、東大へ進学、長生きしてない等々境遇に似ているところがあった。坂口安吾の方が3歳年上。終戦時39歳。空襲警報にさらされながら、毎日死を身近に感じながら、それが日常であるという時間は、私の感じている時間とは別物だと思う。どうしても少し斜に構えて茶化さないと神経がもたない。身体の感覚から認識することが、とても強いということをしばしば経験する。酒を飲んだりタバコを吸ったりの習慣も、気を逸らすニーズに裏付けられていた?2025/03/15