感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mstr_kk
3
再読。主人公の歳に近くなって読むと、たいへん身につまされる小説だった。過去と未来の間で、にっちもさっちもいかなくなった健三が最後に書いたのは、小説なのだろうか。だが小説を書いても、何も片づかない。「赤ん坊」だけが小説全体に救いをもたらしているが、主人公の健三はその救いに気づかずに、小説という別の形の命を産み出したというわけか。めぐる時間(世間)と直線的な時間(知識人)。「気の毒」「虫食い」などのキーワードにも注目したい。2013/03/18
あなた
3
漱石が「自然主義」に手を出すってことは、物自体(カント)=現実界(ラカン)=不気味な他者=ぶよぶよした肉塊の赤ん坊と相対することである。その意味において精神分析的。ちなみに柄谷行人がテクストとしての「道草」を発見した、と俺は思う。2009/07/09
ちいすけ
1
『道草』というタイトル。自分の意図しない事柄に時間をかけねばならない境遇を著したのかなと。漱石はひととおり読みたいと思っているが、本書は重かった。2020/08/02
ge_ha
1
この小説に愛着を持てるキャラクターが一人もいなかった。自伝的小説ということだけれど、いろんな人との面白くもない関係が、過去を振り返りながら書かれている。で、なぜ自分が苦しみ、つまらない人間関係を引きずり、夫婦間もうまくいってないか?漠然と分かっていたその答えを、具象化したのがこの小説なのかと思った。2011/06/25
ウィン
1
漱石の自伝的作品。あくまでも自伝”的”であって、自伝小説ではないし、私小説でもないのである。だらだらと金をせびってくる養父も嫌だし、それをなかなか断り切れないでその微妙な関係をずるずるとひきずりつづけている健三も嫌だ。とはいえ、漱石自身の心情が若干垣間見えた作品でもあった。「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」での漱石とは全く別物であり、ぜひこちらも注目して読んでもらいたい。2010/06/11
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- 洋書
- Isaias 15-42