出版社内容情報
条約派を代表する海軍大将が残した名講話にして、日本海軍創設期を知る軍人による重要資料。
昭和天皇が篤い信頼を寄せた男の、戦後に海自で行われた講話録。
堀悌吉らと共に条約派の筆頭としてロンドン海軍軍縮条約締結に力を注ぐも、強硬派の艦隊派によって予備役に追いやられた海軍大将・山梨勝之進。
昭和天皇の「人間宣言」の文案作成にもかかわる程、信頼を天皇から寄せられていた。
海軍=薩閥の統領で、日露戦争時の海軍大臣も務めた山本権兵衛に仕え、海軍創設期の記憶も引き継ぐその男が最晩年に力を注いだのは、海上自衛隊幹部学校で行った講話だった。
昭和史研究者が名著と推してきた作品、復刊。
■東郷平八郎は、日本海海戦より黄海海戦を重視したいと言っていた。
■山梨「日本の取り組んだ軍縮(ワシントン・ロンドン海軍軍縮会議)は、相手がアメリカであり、軍人にとってはこの軍縮は弾丸を打たない戦争であった」
■秋山真之は「相手が弱いときは先制の方が得だが、相手が強いときは、先制は危ない」と言った。
【目次】
序にかえて 橋口収
まえがき 中山定義・中村悌次・市來俊男
第一話 アメリカ海軍とファラガット提督
第二話 日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の歩み
第三話 ワシントン・ロンドン海軍軍縮会議
第四話 ナポレオンの活躍とイギリス海軍
第五話 川中島合戦
第六話 第二次アメリカ・イギリス戦争
第七話 アメリカの国民性
第八話 ナポレオンとウェリントン
第九話 チャーチルとその伝統
第十話 兵術余話
第十一話 曾国藩の用兵と論語・孟子・中庸
山梨勝之進略年譜
解説 戸高一成
※本書は、1981年10月に毎日新聞社より刊行された『歴史と名将 戦史に見るリーダーシップの条件』を新書化したものです。
内容説明
昭和史研究者が名著と推してきた重要資料、復刊!本書は元海軍大将の山梨が海上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程学生に行った講話をまとめ、海自内の教育資料とした「山梨大将講話集」を再編集し、書籍化したものである。山梨はロンドン海軍軍縮条約の締結に尽力した条約派の筆頭で知られ、山本権兵衛にも仕えた、日本海軍創設期の記憶も引き継ぐ人物であり、戦後に海軍史や名将論を講義した。
目次
第1話 アメリカ海岸てファラガット提督
第2話 日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の歩み
第3話 ワシントン・ロンドン海軍軍縮会議
第4話 ナポレオンの活躍とイギリス海軍
第5話 川中島合戦
第6話 第二次アメリカ・イギリス戦争
第7話 アメリカの国民性
第8話 ナポレオンとウェリントン
第9話 チャーチルとその伝統
第10話 兵術余話
第11話 曾国藩の用兵と論語・孟子・中庸
著者等紹介
山梨勝之進[ヤマナシカツノシン]
海軍軍人。1877(明治10)年7月26日、宮城県生まれ。1897年海軍兵学校、1907年海軍大学校卒業。海軍省副官、軍令部参謀、艦政本部長などを歴任。28(昭和3)年海軍次官に就任し、30年のロンドン海軍軍縮会議で条約締結に尽力する。条約派の代表的人物として知られる。それゆえに強硬派の艦隊派に憎まれ、5・15事件の起きた32年に海軍大将になるも、翌年予備役に追いやられた。昭和天皇が山梨を信頼していたこともあり、39年から46年までは学習院院長を務める。戦後、昭和天皇の「人間宣言」の文案作成にもかかわる。海軍=薩閥の統領で、日露戦争時の海軍大臣も務めた山本権兵衛に仕えた者であり、日本海軍創設期の記憶も引き継ぐ、まさに海軍の生き証人として、戦後に海軍史や名将論を海上自衛隊幹部学校で講義した。水交会初代会長。67年12月17日死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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