内容説明
津軽衆と南部衆の応酬を酒場で楽しみ、太宰治の孤独を考える。弘前城の近くの商家では、石坂洋次郎の教え子だった、魅力的なおばあさんに出会う。下北半島では会津藩を思い、マタギ衆の熊狩りの話も聞いた。異色のタイトルは、古代の青森は物成りのいい「まほろば」だったのではと考えてつけたもの。連載中に縄文時代の繁栄を物語る三内丸山遺跡が発見され、著者はご機嫌だった。
目次
古代の豊かさ
陸奥の名のさまざま
津軽衆と南部衆
津軽の作家たち
石坂の“洋サン”
弘前城
雪の本丸
半日高堂ノ話
人としての名山
満ちあふれる部屋〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さつき
47
タイトルがまず良いです。三内丸山遺跡に代表される縄文時代の繁栄のさまが目に浮かぶようです。また津軽と南部の違いが対比してわかりやすく書かれていて面白いです。以前、八戸出身の友人に「青森出身だよねー?」と聞いたら「うちは南部だから」と微妙な顔をしていたのを思い出しました。全編を通して太宰治の『津軽』に触れられることが多く興味を持ちました。学生時代に読んだような、読んでないような…忘れてしまったので、今度読もうと思います。2016/10/13
けぴ
44
津軽、南部地方を司馬遼太郎さんが訪問。津軽では太宰治の『津軽』がたびたび引用され再読したくなる。縄文の頃から稲作が行われていた考古学の話が興味深かった。現在は津軽と南部の北を合わせて青森県であるが、2つの地方は実はお互いライバル視していたとの話も面白かった。2023/09/27
ダミアン4号
39
“まほろば”は倭建命が叶わぬ帰郷の思いを込め呼んだ故郷、理想郷を指した言葉。司馬先生はこの地を“北のまほろば”だという。度々“けかち/飢饉”に晒され人々を苦しめた地をまほろばと称するのは妙ではないか?いや稲作が主体となる以前は自然がもたらした豊かな恵みによって人々は生活していた。ヤマトに抗い恭順した後はその施政に振り回され…連載中、球場建設予定地から巨大な6本柱の遺構が見つかった。発見の興奮が伝わってくる。三内丸山遺跡に代表される東北・北海道縄文遺跡群。ご存命であれば世界遺産登録をさぞかし喜ばれた事だろう2024/11/15
金吾
30
○十三湖や十三湊に行こうかなと思っていましたのでタイムリーに感じました。十三湖の話も良かったですが、稲作との関係、南部と津軽、8師団、斗南の話が面白かったです。2022/07/31
あきあかね
24
素晴らしい場所、住みやすい処を意味する古語である「まほろば」。今の青森県にあたる津軽と南部、下北は、本州最北の地であり、冬は長く雪に覆われ、太宰治の『津軽』における圧倒的な凶作の年譜が示すように冷害や飢饉に永年悩まされてきた。そうした地に司馬遼太郎は豊穣を見出し、「北のまほろば」と呼ぶ。 縄文時代にあって、豊富な海の幸·山の幸をもとに20メートルもの望楼を擁する日本最大級の集落を築いた三内丸山遺跡。中世の下北の豊富な鉄を通じた北方のオホーツク文化との交流。近世になり、元来寒さに弱いコメが経済の中心に⇒2020/03/31