内容説明
ときあたかも1980年代末の土地バブルに踊る日本をあとに、「国民が国土を創造した」オランダを訪ねる。鎖国時代の日本にとって、暗箱にあいた針穴から射しこむほどのかすかな外光がオランダだったと著者はいい、プロテスタント精神の発露たる商業活動が育てた自律的、合理的な国民性をゆく先々で実感する。さらに、レンブラントやゴッホの絵画への著者の深い理解が共感を呼ぶ。
目次
事はじめ
光る温室
三人の迎えびと
ハイネと“オランダ人”
飛ぶオランダ人
名よりも実
流入者と自由
都市物語
鰊学校
慈愛号〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『竜馬がゆく』、『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの跫音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Book & Travel
47
オランダは江戸日本の唯一の貿易国として、日本史に大きな影響を与えた国。世界史においても、17世紀には海洋商業国家として一時代を築いた。「まことに少人数の市民国家だった」オランダがなぜそれほど繁栄したのか。各地を巡り、プロテスタント特有の自由と実利を重んじる市民気質に迫る旅に、司馬さんのこの国への深い関心と愛情が窺える。レンブラントやルーベンスら芸術家への造詣の深さも印象深い。後半はゴッホを辿る旅。生前は誰にも認められず、自己の魂を描き続けた天才の生涯は、司馬小説の多くの主人公に似ていて、読み応えがあった。2019/02/28
かず
23
オランダ。現代における日本との関係はそれほど強固なものではないが、江戸時代、出島においてヨーロッパとの唯一の通商国であったことが、我が国の歴史に及ぼした影響は計り知れない。オランダはプロテスタントがカトリック国 スペインから独立した国であり、市民革命のさきがけの国であったことに驚かされた。古くから海上での仕事、商業に力を入れた国であり、それがゆえに新教が受容され、旧習にとらわれない自由で現実を直視する気風が生まれた。現実を正しく捉え、正しく対応する。これなくして繁栄はない。この読書で深く胸に刻んだ。2019/07/27
時代
13
オランダ アムステルダムから旅は始まる。レンブラント、ルーベンス、そしてゴッホへと話は揺蕩う。オランダで芸術偉人に思いを馳せるなんて非常に贅沢だ。日蘭交渉史を経て旅は終わる。街道をゆくの相棒、須田剋太氏が亡くなった。次号よりあの挿絵が無いと思うと寂しさ一入である◎2018/12/21
CTC
10
09年朝日文庫新版刊、初出89年12月〜翌年8月の週刊朝日連載。須田剋太画伯は巻末にアムステルダムの運河を描いている。旅自体は89年10月頭頃で、画伯は90年7月に逝去されている。次の号でも画伯の絵は見られるだろうか(泣)。「十七世紀から十九世紀までの日蘭の交渉は世界史でもまれなほどに充実したものであった」と司馬さんが記す“オランダ紀行”。巻末に40頁ほど旅から離れた「日蘭交渉史・私記」が付記されている。オランダとの蜜月は維新によって、日本側から断ち切られる。「往時への筆者の多少の傷みから」記した、と。2018/05/08
teddy11015544
9
この本を初めて読んだのも約30年前、旅行でオランダに行ったのも約30年前になります。国の成り立ちもそうですが、レンブラント、ルーベンスやゴッホにまつわるあれこれは面白いです。30年前のゴッホ美術館では日本語がたくさん話されていたのを思い出しました。レンブラントの夜警も見て印象に残ったのを思い出しました。2022/10/08