内容説明
駆け出しの新聞記者として福井地震の惨状を取材した著者にとって、越前は強烈な記憶の場所だった。九頭竜川の育てた肥沃な平野を往来しつつ、永平寺の隆盛と道元の思想を思い、「僧兵八千」を誇りながら越前門徒の一揆にもろくも敗れた平泉寺の盛衰を考える。平泉寺の菩提林で、十余年前に訪れたときと同じ老人に偶然再会する不思議な場面は、そのまま一編の小説になっている。
目次
越前という国
足羽川の山里
薄野
道元
山中の宋僧
宝慶寺の雲水
寂円の画像
越前勝山
白山信仰の背後
平泉寺の盛衰〔ほか〕
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの蛩音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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molysk
69
大和政権からみた越の国は、油断ならぬ世界であった。のちの越前の地から勢力を率いて、大和政権の長になった継体天皇。越の国のなかで畿内に近い越前では、革新勢力と守旧勢力の争いが繰り返された。中世の権威をかさに着た平泉寺は、農民の蜂起である一向一揆で焼き払われる。一向一揆と争った戦国大名朝倉氏は、織田信長に滅ぼされる。幕末の四賢侯の一人、松平春嶽は佐幕派となるも維新は止められなかった。北陸道のなかでは京に近く、農業生産も豊かだが、土地の広さには必ずしも恵まれなかった。越前が歴史の中心とはならなかった理由という。2023/08/02
i-miya
60
2014.01.22(01/22)(初読)司馬遼太郎著。 01/21 (カバー) 菩提林の美しさには、強い聖俗の戦いがある。 内容も複雑だ。 聖はおのれの聖を守るために俗権の保護も受け、俗も「別の聖の体系」を持つことで聖の宗教の恐ろしさを無効にする。 二律背反力学で保つ菩提林の美。 (地図) 日本海、東尋坊、三国町、三国芦原線、越前岬、越前町、越前陶芸村、日野川、福井市、丸岡町、永平寺町、越前本線、九頭竜川、永平寺、越美北線、足羽川、美山町、 2014/01/22
Book & Travel
56
苔むした森の表紙に惹かれた巻。表紙の平泉寺は白山信仰の拠点で、中世には比叡山傘下に入り、多くの荘園と僧兵を持ち栄えたという。他の大寺院も同様だろうが、権力と所領を巡る生臭い争いの歴史が、司馬さんの深い知識と特有の現実的な筆致で語られ、それが現在の静謐な場景と対照的で面白かった。曹洞宗総本山・永平寺は、伽藍を嫌った道元の意に反し、三世義介が大伽藍を建てた。永平寺には寄らないが、弟子寂円が建てた山中に忘れられたような宝慶寺を訪れ、一生を求道に費やした道元と曹洞宗の歴史に触れられるのもこの巻の興味深い所だった。2018/08/31
Tadashi_N
48
永平寺や平泉寺を生んだ風土。かつては大和朝廷の及ばない世界。2018/04/05
kawa
47
越前編。越前の「越」は、敦賀の坂(木の芽峠)を越えて入る地域であるために「越のくに」と呼ばれたのだそうだ。前半は道元とその正当な後継者である寂円(宋の人)を巡る旅。俗化した永平寺の大伽藍は道元の教えにそぐわないとして、寂円の住した山奥の宝慶寺(ほうきょうじ)を訪ねる。大教団である曹洞宗の紆余曲折、変節ぶりを初知り。その後、中世において、かの地を支配した平泉寺(へいせんじ、天台宗、美しい苔の境内が見どころ)、一乗谷、丸岡城、古越前の越前陶芸村等を訪ねる。どちらも未訪の地、チャンスを作って…。2020/06/19